「震災の傷はいつか癒える」は間違い 君塚良一監督と原作者・石井光太が語る

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石井 光太(ノンフィクション作家)
1977年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部卒業後、海外ルポをはじめ、貧困、医療、戦争、文化などをテーマに取材、執筆活動を行っている。2005年『物乞う仏陀』でデビューし、『神の棄てた裸体』『レンタルチャイルド』『地を這う祈り』『飢餓浄土』『遺体』『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』など。最新刊は『津波の墓標』。

たとえば、岩手県釜石市で取材した、まだ遺体が見つかっていない遺族は、地元の拝み屋さんのところに行くのです。拝み屋とは霊を自分のところに降ろしてきて話す、“イタコ”のようなものです。そこでは、亡くなった父親の霊が降りてきて「僕は釜石湾の中にまだいる。みんなが見つかっていないから、俺は出てこないんだ。みんなが出てきてから俺も出て行くよ」という言い方をする。そうすると、遺族は「そうだね、お父さん」となって、その言葉を信じることで、なんとか自分を支えて生きているわけです。

想像していただければわかるのですが、自分の両親や兄弟、恋人、友人といった人間が、ある日突然、亡くなり、津波に流され、ヘドロだらけで死後硬直し冷たくなって遺体安置所に運ばれる。そこでは葬式もできず、火葬場で焼くこともできず、遺体が徐々に腐っていく。中には土葬された後に掘り起こされて、真夏に火葬場に運ばれて、遺骨をもらった人もいる。また、墓石すらながされて遺骨をお墓に置くことができない方もいる。あるいは取材した方のようにいまだに遺体が見つかっていない方もたくさんいるわけです。

そういう事態に直面した被災者は、たとえ30年経過しようが、40年経過しようが、つらくない人はひとりもいないと思います。癒えたなんて人はひとりもいませんよ。

その傷が癒えなければどうするかというと、そこにふたをするか、あるいは見ないようにして前に進んでいくことしかできない。つまり、自分の傷から目を背けることはできても、癒すということはできない。人間というのはそういうものだと思うんですよ。

僕たちがやってはならないことは、被災者に対し「いつか癒える」「その傷を癒やしましょう」という物言いをすることだと思うんですよね。逆に言うと、「時間が経てば癒えるだろう」「もう終わりにしようぜ」と言っていることと同じですから。

映画「遺体」へと向かわせた阪神・淡路大震災の出来事

君塚良一(以下、君塚):これまでの取材ではあまり話さなかったことなのですが、僕は石井さんの『遺体 震災、津波の果てに』を読んで、18年前の阪神・淡路大震災(1995年)のときから引きずっていた想いという個人的な事情から映画を作りました。そこには、「今作るか」「ずっと作らないか」のどちらかしか選択肢はありませんでした。だから、東日本大震災から2年という公開時期が「早いか」「遅いか」はわかりません。

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