「震災の傷はいつか癒える」は間違い 君塚良一監督と原作者・石井光太が語る

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君塚良一(きみづか・りょういち) 日本大学芸術学部卒業後、萩本欽一に師事。番組構成からテレビドラマの脚本家として活躍。「ずっとあなたが好きだった」「ナニワ金融道」など数々の人気ドラマの脚本を手掛ける。

僕は阪神・淡路大震災が発生したとき、バラエティ番組やドキュメンタリー番組の構成をしていました。当時、阪神・淡路大震災が発生した日にフジテレビ笠井信輔アナウンサーが現地入りしたルポを基にした30分のドキュメンタリー番組の構成を依頼されました。ドキュメンタリー番組の構成は、素材テープを見て、どうつなげて、まとめるかという、本でいう編集者のような作業です。僕は、何の覚悟も心の準備もなく、10時間ほど「被災現場」を撮影した映像を見ました。路上にはご遺体があり、火災の後にくすぶって焼けた遺体や、倒壊した建物からは遺体の一部が、映像にうつっていました。僕はショックを受けて、途中から見られませんでした。

結果的にテレビですから、暗黙の了解でご遺体はカットし、「明日から頑張らないといけない」といった被災者達へのインタビューを紡ぎながら、「それでも人は生き続けなければならない」といったようなナレーションを書きました。僕がテープで見たことと決定的に違うことが放送された。そのときの想いが根底にあったんです。

先日、とある放送局の方と話したのですが、その方は映画『遺体』を見て、「報道部はこれを撮らなかったじゃないか」とナイフを突きつけられたと思ったそうです。でも、必ずしも報道として遺体安置所のもようを伝えることがいいとは思えません。

その放送局の方たちは、東日本大震災から10日間、生きている人たちにマイクを向けて「頑張ります」といった言葉を報じることが、同じ被災者の人たちの勇気が湧くのではないかと思ってやったと言うんです。

僕はそのとおりだと思います。それによって、同じ被災者の勇気や希望にどれほどなったかと思う。僕は批評的に映画『遺体』を作ったのではなく、「ただ知るべきだ」と思ったから作ったのです。映画は報道と違って、観るか、観ないかを観る側が選択できる。DVDになったら10年後でも観ることができるわけです。

「向き合う時間が少なくなる」と忘却は違う

石井:東日本大震災から2年近く経ち、「復興」「忘却」などさまざまなことが言われています。中には、「忘れてはならない」という人もいます。だけれど、僕は、「忘れてはならない」というのは正しい言い方だとは思わないんです。

人間は生きていれば、日々、新しくインプットをしていかなければいけない。インプットに目を向けることをしなければ、物事は前に進まないし、個人としても前に進めないと思うんです。

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