「震災の傷はいつか癒える」は間違い 君塚良一監督と原作者・石井光太が語る
釜石市には、今でも震災後遺症に苦しんでいる人がいます。たとえば、ある30代の女性は、両親を亡くしましたが、震災後に結婚して伴侶を得ました。だけれども、夜眠った後に、遺体安置所で見た数々のご遺体の霊がうつってしまうんです。ある日は、年老いた老人の声になって「俺はまだ冷たい水の中にいるんだ。助けてくれ」と言ったり、子どもの声で「僕のお母さん、どこ」と言ったり。あるいは車で遠くの被災跡地まで行って、暗闇の中でぽつりと立っていたり――。本人は、覚えていないんです。全員が全員ではないと思いますが、少なくとも、僕が感じる限り、こうした「まだ癒えていない人」はたくさんいます。
だから、被災者が徐々に津波に対して向かい合う時間が少なくなっていくことは、仕方がないことだと思います。でも、向き合う時間が少なくなることは、必ずしも忘れるということでありません。前に進んでいるのであって、忘れているわけではないんです。これから生きる人たちが、津波から目をそらして生きることは仕方がないことではないかと思うのです。
今、話したのは目に見えない、ほとんどの人が知らない話だとは思いますが、被災地での「事実」なんです。そういった方々の気持ちや傷を“抱えて”進んでいくのが、震災後の日本ということだと思うんですよ。
東日本大震災では、死者・行方不明者数が1万8574人(2月27日現在)に上ります。そのご遺族は、友人、恋人が亡くなった方も含めれば、数十万人、百万人以上いるかもしれません。日本は、震災の後、こうした数十万人のご遺族を抱えながら前に進んで行くことだと思うんですね。この先、10年、20年はもちろん、少なくとも被災者が生きる50年以上です。
遺体安置所で見えた「良心」
石井:君塚監督も同様だと思うのですが、僕は『遺体』という作品で、遺体安置所の悲劇を描きたかったのではありません。遺体安置所で働く人たちが、いかに人間の尊厳を守り、遺族を支えたのか。そこに人間の温かさや優しさがあったということ、その人間の美しさを描きたかった。
映画では、遺体を「夫婦だから横においてあげたい」というシーンがあります。これは原作にもある事実で、主人公のモデルになった千葉さんは、家にあったA4サイズの裏紙にどの遺体がどこにあるという地図を描いていました。ヘドロに触れている手で書いているので”泥だらけ”の地図です。
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