3.11から見る日本政治の限界 元マッキンゼー・現職政策担当秘書が斬る!

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筆者自身、阪神大震災の被災者だったこともあり、今度は自分が東北の力になる番だと思い、チリから帰国してすぐ、3月27日に宮城県へ泥かきに行った。がれきに埋もれた光景が延々と続く街で、まだ海水をたっぷり含んだ重たい泥をビニール袋に詰めて捨てた。しかし、それから2年、筆者もしょせん東京人、日々の忙しさの中で、被災地を「ひとごと」のように感じ始めていたのかもしれない。

そしてまた、永田町の住民も所詮「東京人」だ。衆議院議員480人のうち、462人が大卒だが、実はそのうち4分の3以上の議員が「東京の大学」を卒業している。福島から当選した衆議院議員議員8人も、全員「東京の大学」を出ている。飯舘村の高校生の言葉を借りると、みんな「東京かぶれ」してるということだ。別の言い方をすれば、残念ながら、地方では政治リーダーとなる人材育成ができていないのだ。

この記事を書くに当たって、筆者は福島のとある町役場で働く友人を訪ねた。地酒を飲み交わしつつ、彼は言った。

「うちの町には中学校までしかない。だから、若者が必ず高校から外へ出て行ってしまって、町に人が残らない。せめて農業高校でもあれば、そのまま町で農業をやってもらえるかもしれないのに……」

被災地・福島は人不足に悩んでいる。箱モノ中心の再分配に偏り、地方で人を育て、地方に人を根付かせる仕組みを築いてこなかったことが、根本原因だ。

今、問われる「代議士」のプロフェッショナル

震災を契機に「国家」が揺らいでいる。

「絆」という言葉が2011年の漢字に選ばれたものの、一方で行政や政府に対する不信感は高まるばかり。地方の声を聴くことなく、負担を押し付け、むしろその負担を自ら負うような思考構造を築いてしまうのは、植民地政策と同じだ。

そして、「代議制民主主義」が揺らいでいる。

福島の声なき声をくみ取れない政治家に存在価値はない。福島の方々の政治への不信感は極めて大きいと感じた。電力会社の労組に気を使い、原発反対の活動家にもペコペコする政治屋さんでは、信頼されなくても仕方ない。この不信感こそが、戦後史上最低の投票率を招いた。

代議士は「代わりに議論するサムライ」と書く。代議士は議論のプロであるべきであって、声を出せない福島の方々の「声なき声」をくみ取り、行政に反映させてこそ、価値があるのであり、三権分立の神髄がそこにある。安易に「国民投票」に逃げてはいけない。

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