娘さんが義父を見る目と、あなたが夫を見る目は、当然ながら違います。夫に終末をどちらで迎えて頂くかは医師の助言と、それを実行に移すあなたの意志や体力、そして夫への思いなどを勘案して決めるべきです。あなたはまだお若いですね? 十分に自宅介護ができると思います。
私ごとで恐縮ですが、私は次のような経験をしています。40年ほど前に母を病院で見送りました。自分のことはいつも後回しで、不満やわがままなことはいっさい言わなかった母でした。治らない病気に罹っているのに私たちきょうだいには、「ここの痛みさえ取れたら治るから、心配しないように」とか「今は一口も食べられないけれど、この薬がよく効くそうだから、心配しないように」などという人でした。
母を病院で看取った悔悟で苦しんだ日々
そんな人がときどき、「ここ(病院)にいるから、私は寝たきりの病人だけど、家に帰ったらもう少し他のこともできる。誰にも迷惑かけないから、家に帰らせて」と遠慮気味に言っていました。母の性格からこれは、相当な切望とか懇願の領域でしたが、私は聞く耳を持ちませんでした。
一番の理由は、その地で最高の医療機関に入院し、先生方がいつでもすぐに飛んできてくださっている環境から離れることなど、私には微かな希望さえ捨てる意味を持つ、とんでもないことでした。他にも誰が24時間介護をできるかなど、問題はいろいろありましたが、後で考えるほど、どうにでもなる問題ばかりでした。母の最後の願いに比べれば。
その後の数十年間、終末をどこで迎えるかについての問題や緩和ケア、クオリティ・オブ・ライフについての情報が豊かになり、活発に論議されるようになりました。それは、私があまりにも未熟だったことを思い知らされる情報ばかりで、母への申し訳なさが募る日々でもありました。
そんな私に数年前、長姉の残りの2~4週間を、家で過ごさせるのはどうかという問いかけが主治医からあった時、私は迷わず決断しました。長姉は精神的にはずっと母親代わりでしたので、母に抱いている同じ悔いを繰り返したくない一心でした。
車で2時間の距離に住む二人の姪は、40年前の私と同じ理由で反対しましたが、車で30分の私がほとんどの責任を持つからと、説得しました。姉も、繰り返してきた入退院のたびに私たちを「煩わせてきた」ので、今回は「完全に治してから帰りたい」と退院をしぶりましたが、決行しました。
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