この衰退はマクロ経済だけが原因なのでは決してなく、経営判断のミスが大きく響いている。たとえば同じ時期にアメリカのWWEは上場も果てして世界市場に進出し、売り上げで8億ドルという規模に成長したが、日本のプロレス界でトップの団体の売り上げがその2%程度に甘んじている。
2000年を境にアメリカではWWEがプロレスはエンターテインメントだと認め、メディアコンテンツインテグレーターという事業コンセプトとドメインを定め業績が急成長し、ベア・スターンズを主幹事に上場も果たした。
私はプロレスを明確に定義し、エンターテインメントコンテンツとして売り上げ拡大を成し遂げることを“業界の成長”とは一概に言えないと思う。しかしそれにしても日本ではプロレス業界は経営が混迷を極め、WWEによる業界のコンソリデーションの進んだアメリカに比べ、逆に業界が縮小する中でプロレス団体が細分化し、マーケット自体が一時、壊滅の一歩手前まで追い込まれた。
経営交代の歴史
新日本プロレスは、創業者のアントニオ猪木氏や藤波辰巳氏などレスラーが社長業をすることも多かったが、放漫経営がたたり経営は長らく傾いてきた。
オーナーや現場のレスラーが社長のままでは大抵の企業で成長の限界があり、またその親族が経営に回れば過去の資産を徐々に食い潰すのが企業経営の典型的パターンである。その後2005年にオンラインゲームのユークス社が買収し、組織としての機能強化やコストカットを進め、業界が縮小する中でサイズを縮めて生きながらえてきた。
なおユークス社は赤字続きの新日本プロレスに多額の援助をしたと考えられており、今の新日本プロレスにいる人たちはユークスに対し「苦しいときに一生懸命支えてくれた」と非常に感謝している。しかしそんなユークス社もオンラインゲームビジネスでの競争環境が熾烈化し、本業にリソースを特化しなければならないタイミングで新日本プロレスの拡大に資金を費やす状態でもなかった。
そこに現れた、カード対戦ゲーム市場で急速な企業成長を成し遂げた現ブシロード社長の木谷高明氏が、ユークスから発表ベースで5億円の価格で新日本プロレスを買収した。そしてその後、新日本プロレスが大きく変わっていくことになる。
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