米でも麺でもない、中州が誇る「伝説のシメ」 中高年の心と体を癒やす「おふくろの味」
1階はカウンター8席だけ。2階の和室は予約が必要だ。ほぼ9割を占めるという常連客の1人が、元警視庁警視で福岡市出身の作家、濱嘉之さんだ。
代表作「警視庁公安部・青山望」シリーズでは「中洲のみそ汁屋」として登場。それを読んだ青山ファンたちが、関東や関西からも訪れ、小説の世界に浸る。
刺し身や煮物など一品料理もあり、客足のピークは午後6時半と午前0時の2度。1次会を「田」で過ごして、2次会、3次会を経て、再び「田」に戻ってくる客もいるという。
魅力は何か。常連たちに聞いてみた。
「おいしいから」「ホッとするからかな」「懐かしい味」「年だからね。もう脂っこいのは胃にもたれる」
それぞれの「母」が中高年を癒やす
35年前。プロのジャズベーシストだった田口隆洋さん(68)が洋食店での修業を経て、店を始めた。もともとホステスやボーイなど中洲で働く人たちに出勤前、夕食を食べてもらおうと始めたが、口コミで広がった。音楽関係者のつながりも深い。
店にはジャズが流れる。年齢層は50〜60代。中高年の心と体を「おふくろの味」が癒やす。
中洲町連合会の専務理事、川原雅康さんにも極めつけの「シメ」を聞いてみた。1999年に百貨店を廃業した福岡玉屋(福岡市博多区中洲)の元常務で、中洲勤務歴は「40年以上」という。
中洲を案内することが多く、飲み会は相手の好みに合わせて豚骨ラーメンやすしで締めくくる。しかし、本心は、「クラブのママが手作りしてくれる『うどん』や『おでん』が大好き」という。「人情味あふれるシメに、心が癒やされる」。通にはそれぞれの「母」がいるようだ。
中洲の起源は江戸時代初期にさかのぼる。黒田官兵衛(如水)、長政親子が、現在の昭和通りに当たる街道の東西に中島橋を架けたのが始まりとされる。明治維新後、徐々に市街化され、電灯会社や電話局、医学校ができ、大正以降には、カフェやバー、百貨店が進出。やがて歓楽街として定着していった。