天守閣は物置だった?「日本の城」の教養10選 世界遺産「姫路城」のスゴさもわかる!

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今回も、城についてよく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

そもそも「城」って何? 誰が住んでいたの?

Q1. 「城ブーム」のようです。そもそも「城」って何ですか?

敵の襲来から大事な場所を守るための施設一般を「城」と呼んでいます。いわば「防御陣地」です。

古くは集落の周囲を土塁(どるい)と空堀(からぼり)で囲っただけの簡素なものから、石垣を築いた本格的なものまでさまざまです。こうした城をはじめ、要害や砦(とりで)、柵(さく)などを合わせた大小の城の数は、国内だけでなんと2万5000を超えます。

Q2. 高いタワーみたいなものが「城」じゃないんですか?

みなさんが「天守閣(てんしゅかく)」と呼ぶあの高層建築。実は城の歴史の中では新しい設備で、織田信長が安土城の建設で本格的に採用したのをきっかけに全国的に広まったものです。

ちなみに、この解説でも「天守閣」という呼び名を使っていますが、実はこれは戦後の造語です。本来は「天守(てんしゅ)」と呼ばれていました。

Q3.城は、いつ頃からあったんですか?

ルーツとしてはいまから2000年前、弥生時代には土塁や空堀で集落を囲っていたことが発掘調査によってわかっています。また、「高地性集落」という山上の防御集落も確認されています。

築城は戦国時代に数、技術ともにピークを迎えましたが、徳川家康の天下統一によって施行された「一国一城令」によって多くの城が廃棄され、そのうえ明治維新の「廃藩置県」によって残った城の大半も解体され、ほぼ姿を消しました。

Q4. 城には「お殿様」が住んでいたのですか?

近世以降の城は「城主の住む館」や「藩の役所」も兼ねていました。

ただし、「殿様」が天守閣に住んでいたわけではありません。敷地内に「御殿(ごてん)」という平屋建ての専用住居をつくり、妻子も含めそこで生活していました。「御殿」は、京都の二条城を思い浮かべるとわかりやすいでしょう。

戦時でないときの天守閣は、たいてい武器などを保管する「物置」として使われていたようです。ただ、織田信長の安土城は例外で、五層七階の天主の中に居住空間が設けられていたことが知られています。

Q5. 城にはどんな種類があるんですか?

基本的には「山城(やまじろ)」と「平城(ひらじろ)」の2タイプがあります。山岳や丘陵など起伏の険しい地形を利用した「山城」のほうが、防御性が高いうえに構築も容易なため、多くはこの「山城」タイプです。

一方、「平城」は平地につくられた城で、戦国末期に「石垣」や「櫓(やぐら)」といった強固な防御施設の構築が可能になると、この「平城」または平地の丘に築かれた「平山城」タイプが主流になります。

ただし、城づくりの基本は「その土地の特性を活用する」こと。海・湖に面した「水城(みずじろ)」など、ほかにもさまざまな形があります。

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