――過去に、非常に多くの偉大な映画監督とタッグを組んできました。まさに映画の撮影現場が、映画監督になるための学校だったのでは?
まさにその通り、映画の撮影現場が極上の映画学校だった。マーティン・スコセッシ、スパイク・リー、クロード・シャブロル、デヴィッド・フィンチャー、ロバート・ゼメキス――。こういった偉大な監督たちから直接、本当にいろんなことを学ぶことができた。
――今回の映画の撮影現場で、あのときあの監督が、あんなことをやっていたなと、思い出したことはありましたか?
特にここ、ということはなかったかな。結局はキャラクターありきでスタートして、そこに必要なものは何なのかというところで作っているので。ただ今回は、撮影監督がスパイク・リーの『インサイド・マン』の時の撮影監督(マシュー・リバティーク)だったので、あの時のあんな感じということを思い出したことがあった。例えば、『インサイド・マン』の中で、警察が何人か話しているのを違うカメラで撮ったシーンがあったんだけど、あれと同じような感じで撮れないかしら、というような話をしたことはあったわね。
いちばん興味があるのは映画づくり
――ジョディさんはプロデューサーとしても活躍していますが、お金の流れには興味がありますか?
その答えについてはイエスでもあり、ノーでもあるわね。やっぱりわたしにとって一番興味があるのは映画づくりだから。
ただ、金融界に興味を持ち始めたきっかけというのがあって。それが(オスカーを受賞した)『羊たちの沈黙』(1990)と、(初監督作の)『リトルマン・テイト』(1991)の時代だった。この2作品は同時期にオライオンピクチャーズという映画会社で製作され、公開される予定だったのが、倒産してしまった。この危機の中でどうやって映画を世に出していけばいいのか、ということを考えるようになった。それからファイナンスのシステムはどうなっているのか、といったことに興味を持ったし、いろいろと学ぶようになった。
――ジョディさんは、プロデューサーとしても堅実に自分のキャリアを固めてきた印象があるのですが。
確かに12年間、自分の会社を経営してきたわけだし、それなりの経験値はある。最初の6年は独立して映画製作を行っていたので、世界中に映画化権を売っていたけど、最後の6年は(ハリウッド大手の)パラマウント・ピクチャーズに所属していたので、完全に独立していたわけではないけどね。でもその間は、5、6本の映画を作ってきたんでプロデュース業はもう十分かな(笑)。
――もうプロデューサーはしないんですか?
自分が監督をする作品に関してはプロデューサーを務める可能性もあるかもね。自分の監督作品を、自分がプロデュースすることはやりやすいことだから。でも他人の作品はもういいかな。
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