さて、100年前の1915年12月18日に行われた「大田黒サロン」の第1回コンサートには、いったいどんなプログラムが用意されたのだろう。青柳いづみこ氏に教えていただいた当時の記録によると、出席者は堀内敬三、野村光一など約20名。コンサートのタイトルは「第1回ドビュッシーの夕べ」と題されて、グリーグの「春に寄す」、ドビュッシーの「小さな羊飼い」「ロマンス」「牧神の午後への前奏曲」「雨の庭」「亜麻色の髪の乙女」「沈める寺」や、フォーレの「ゆりかご」、スクリャービンの「前奏曲」その他がピアノ演奏によって披露されている。
まさに、日本におけるクラシック界の夜明けを見るようだ。このようなコンサートが定期的に行われていたことを知ってしまうと、大田黒元雄の名前が頭から離れなくなる。前述の「プロコフィエフの日本滞在日記」などを読みふけっていた最中に出会ったのが、荻窪の駅からほど近い閑静な住宅街の中に佇む「大田黒公園」だった。
魅力的な主の元には芸術家が集う

この公園は、大田黒が1933年から住んでいた自宅跡地を整備して1981年に開園した杉並区の施設で、園内には大田黒が住んでいた当時の庭の様子やコンサートが行われていた西洋風邸宅の一室がとても美しく再現されている。
園内の池はまるでモネの絵のような趣を見せ、記念館となっている邸宅の一室には、当時の貴重な資料とともに、コンサートに使われていた古いスタインウェイのピアノが鎮座している。まるで時間が止まってしまったかのようなこの空間に立っていると、今にもドアが開いて大田黒元雄その人が「やあ、お待たせ。君はクラシックが好きかい? そこの池を眺めながらドビュッシーを聴くのは最高だよ」などと言いながら現れそうな気がするから不思議だ。
この大田黒元雄がサロンを象徴しているように、サロンにはそこに相応しい主人が求められる。魅力的なサロンの主のもとにこそ魅力的な芸術家や文化人が集うのだろう。開かれたスペースであるコンサートホールに対して、秘めた隠れ家的な要素を持つサロン。どちらも音楽文化にとってなくてはならない存在だが、時代は再び知的な刺激とコミュニケーションを求めて、サロン的な方向へと動き出しているようにも感じられる。
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