上野の音楽祭が10年目、散財を厭わないワケ インターネットイニシアティブの鈴木幸一会長に聞く
苦しい時期に始めた
――指揮者の小澤征爾さんとの親交からユニークな音楽祭が始まりました。
小澤さんがウィーン国立劇場の音楽監督に決まるようなタイミングだった。友人たちと酒の席で「日本で作ったオペラを欧州でやれば面白い」なんていうことを冗談で話していたのがきっかけ。東京で小澤さんにオペラをやってもらおう、ということで始めた。
でも最初は苦しかった。2005年3月、第1回目の公演は東京文化会館の2400席中400席しか埋まらなかった。これほどまでにお客さんが来ないのかと驚いた。2年目は、小澤さんが病気で代役が振ったが4800万円のチケット代払い戻しを経験している。そもそも、音楽祭の準備を進めている時期に、クロスウェイブ(コミュニケーションズ、ソニーやトヨタと設立したデータ通信の専門会社)が破綻するなど個人的にも苦しい時期に始めている。でも約束はしっかり守ろうということで始めた。意固地になる性格なんでね。
――音楽祭を上野で開催している理由は?
高校時代から、いつも学校をさぼって上野の博物館や美術館に通っていた。世界的にもこれだけ文化施設が集まっているのは珍しいし、愛してやまない場所だ。どの施設でもコンサートを楽しめるようにすることで、東京に住む人や働く人がみんなで楽しめる音楽祭をやりたかった。裾野を広げるため、料金を安く設定し、半分以上の公演を無料にしている。地域の小学校でも演奏する。子供たちも「初めてバイオリンの音を聴いた!」なんて喜んでくれる。若い演奏家を育てるための、いい場になってきたと 感じている。
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