ヤマハ、楽器大手の真髄

ウィーン・フィルの立役者、岡部常務に聞く

オーストリア・ウィーンは「音楽の街」で知られる。その文化の発展に寄与した人物などに送られる「ウィーン州功労者賞」を受勲したのが、大手楽器メーカー、ヤマハで管楽器の開発に長年携わってきた岡部比呂男常務だ。実は、岡部氏がいなければ今のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は存在しない。西洋音楽の伝統の存続に大きな貢献を果たした岡部氏が説くのは、顧客の声を徹底して聴く経営。その経験談は、音楽の世界だけでなくあらゆる業界に響く。

私自身が管楽器吹きで、中学生の頃にトランペットを始めました。最初はニッカン製のいちばん安い楽器を学校の備品として使い、高校生になって西ドイツ製のトランペットを購入しました。当時は、ヤマハがオーケストラ用のトランペットを作り始めたころでした。ヤマハのトランペットはその頃の憧れで、「大学に入学したらオーケストラに入って、あの楽器を使おう」と思っていた。

そこで、大学入学をきっかけに、親からヤマハのトランペットを買ってもらいました。アメリカ製に比べて、3分の1か2分の1くらいの価格だったと思います。ヤマハのトランペットはとてもいい楽器でした。でも、レッスンを受けていた先生は、アメリカのバック製の楽器を使っていた。そこで1年後、先生が持っていたバックのうちの1本を譲ってもらいました。

管楽器に本腰を入れたのは70年代

岡部氏が学生だった70年代は、ヤマハが管楽器事業に本腰を入れ始めた時期。70年に日本管楽器(ニッカン)を吸収合併し、管楽器の主力拠点である豊岡工場の操業も始まった。ルブラン、ホルトン、コーンなど、アメリカのメーカーの普及品の受託生産を行っていた。

当時の為替は1ドル360円の固定相場。日本の賃金は安く、米国一流メーカーにとってヤマハは、いわゆるOEM(相手先ブランドによる生産)の委託先のようなものだった。

しかし、73年に転機が訪れる。ウィーンフィルの首席トランペット奏者であったワルター・ジンガー氏が公演のため来日。ヤマハ技術者と出会ったことで、ウィーン式管楽器の開発が始まったのだ。

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