ヤマハが“音楽”へ原点復帰 ピアノの頂点、スタインウェイの背中を追う
インドネシアの首都、ジャカルタの巨大ショッピングモール。1月の1週間、中央吹き抜けのイベントスペースで演奏会が開かれた。現地で親しまれるジャワジャズやポップスの音に誘われ、買い物客が次々と集まってきた。
大舞台で演奏していたのは、ヤマハのインドネシア現地法人が展開する「ヤマハ音楽教室」(以下、教室)の生徒たちだ。インドネシア国内には現在、110カ所の教室があり、海外では最大の3万4000人の生徒が在籍している。
ヤマハがインドネシアに進出したのは1972年。ジャカルタに音楽教室を開設したのが始まりだ。5年後の1977年には楽器の生産工場を立ち上げ、1990年代初頭には国外への輸出を開始。労賃の安いインドネシアは中国に次ぐ楽器生産地で、世界のエレキギターの25%、ピアノの20%が、インドネシア製だ。
中間層市民の教育需要がインドネシアで急拡大
つい数年前まで、ヤマハにとってのインドネシアは、“生産の拠点”ではあっても“商売の拠点”ではなかった。顧客は華人(中国系)を中心とする富裕層に限られていた。人口2億3000万人のうち、クレジットカードを保有できるような富裕層はたった2%程度というお国柄。商売への本腰は入らなかった。
だがここ数年で、インドネシアの市場は確実に変化した。富裕層の下の中間層が急拡大しているのだ。
自宅や車を持ち安定収入を得る中間層は、一人当たりGDP3000ドル以上が目安とされ、所得水準の底上げでプリブミ(インドネシア出身の非中国系住民)の存在感が増している。上昇志向の強い中間層は、家電や車に興味津々。子供の教育にも目を輝かせる。富裕層のステータスとされてきた「情操教育」への憧れは強い。
1998年のスハルト政権崩壊後、ロックバンドが隆盛したことで音楽に対する庶民の関心が一気に高まった。インドネシアには日本の3倍以上、約2600万人の小学生がいる。楽器ブランドとしての知名度を生かし、ヤマハが本格的に事業展開する土台が整った。
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