初めて幸之助と話したとき身震いがした
──「松下幸之助の最後の愛(まな)弟子」といわれます。幸之助さんはどんな方だったのでしょう。
たいへんな聞き上手。この人になら全部しゃべってしまおう。そういう雰囲気を作ってくれる人だった。
最初にお話ししたのは20代半ばのとき。ミシン会社の予約販売制度の調査を命じられた。予約販売制度というのは、顧客に前金を積み立てさせ、積立金が購入額に達したら商品を納入する仕組み。売る前におカネが入ってくるので、当時のミシン会社の財務内容はピカピカでした。
幸之助はいたく感心して松下電器産業(現パナソニック)にも導入しようと思っていた。僕は「おやめになったほうがいい」と申し上げた。
けげんな顔をした幸之助から質問が二つ。最初の質問は「これ、自分の目、足で調べたんか」。次の質問は「このミシン会社は一流会社やろ。一流会社のやっていることをうちがやって、何であかんのや」。
キャッシュリッチなミシン会社は当時、一流会社とみられていたのです。「一流会社がやっているから、と判断されるのは間違い。これが一流会社にふさわしいかどうかで判断するべきです」。すでに予約販売制度をめぐって解約トラブルや架空契約問題が頻発していました。
「わかった。じゃ、やめよう」。この間、15~20分。入社5~6年のチンピラの調査報告に素直に耳を傾け、即決する。身震いしました。
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