ゲルニカは、なぜ世界一借りにくい絵なのか 強いメッセージを持つ絵の「威力」

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それを読んでものすごく感動した。シビれました。その瞬間ですね、この小説を書くと決めたのは。その後時間をかけて自分の中で思いが蓄積し、熟成して、ようやく書き始めたのが2013年、50歳のときでした。

──ゲルニカを書くのに10年の熟成が必要だった……。

原田 マハ(はらだ まは)/1962年生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。馬里邑美術館、伊藤忠商事を経て、森ビル森美術館設立準備室在籍時、ニューヨーク近代美術館に派遣され勤務。2006年『カフーを待ちわびて』でデビュー。12年『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞ほか多数受賞。ほか著作多数

そうですね。でもピカソと出会った10歳を起点とすれば、40年です。その間20歳、30歳、40歳と節目節目でピカソと対峙し、距離を縮めてきた自分がいて、さあ準備しろ準備しろ準備しろ、とピカソに背中を押されてきたような気がします。

私には、世の中で起きている問題を書き手と読者がシェアする場として小説を提供したい、という思いがつねにありました。でも従来の作品では足りなかった。今回は、もう一段超えたところで議論の場を持とうという、私からの問題提起もあります。

ピカソは一貫して、戦争そのものと戦った人でした。公の場で政治的発言をすることはなかったけど、死後40年経った今も、彼がアートワークに込めたメッセージは強い力で発信を続けている。特にゲルニカは、平和・反戦をダイレクトに訴えた初めての作品です。世界中でテロが多発している不穏な現代、今このタイミングで世に出すことは、自分にとって非常に重要だったし、今こそ読んでほしいと強く思いました。

美術界の舞台裏に迫りたかった

──主人公がゲルニカを借り出そうと粉骨砕身するストーリーに、何かモデルはあったのですか。

自分も美術業界に20年身を置きましたが、舞台裏はすさまじい駆け引きの世界です。ピカソの展覧会をやりたい、こんなドリームプランを実現したいと思っても、政治力・交渉力のないキュレーターはまったく歯が立たない。ゲルニカは現在スペインのレイナ・ソフィア芸術センターにありますが、世界でいちばん動かすことが難しい作品で、世界的美術館がどんな理由で貸し出しを申し入れてもまったく無理です。それも取材でわかったことなんですね。だからこそ小説の中で挑戦したいと思った。書くなら、美術界の裏のカラクリを知る私しかいないと。

強いメッセージを発する作品を動かすということは、どれほどの影響力を持つことなのか。アートで戦争をなくすことも、世界を変えることもできないかもしれない。けど、アートをきっかけに「いや変えていこう」と思うことはあるかもしれない。小説だって、直接の力にはならなくても、何かきっかけを作るものであってほしいと、自分で書くときはいつも思ってます。ピカソもきっと、戦争をなくせるかどうかはわからないけど、きっかけにはなる、とゲルニカを描いたんじゃないでしょうか。

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