「どうでもいいよ」と思っている話に付き合いながら、「いつか重要な情報があるかも」と思っていても、重要な情報なんて得られないと思うなぁ。仲間はずれが怖いとか、悪口言われるのではと心配になるのはわかるけど。でも、仲間内で罪のない会話を楽しんでいるだけのようだから、そんなことにはならないようにも思いますけどね。LINEをやっていない私には、怖さや面倒くささがちゃんと理解できていない可能性が高いですが。
人の家庭の「価値観」を批判しない
ただ、LINEに限らず、コミュニケーションの手法はどんどん広がり、情報量も大量で多様になっているので、その中で「言わなくてもいいこと」を発言してしまったり、周囲に他意はなくても傷ついてしまったり逆に傷つけてしまったり、といったことも増えているとは思います。特に「価値観」に関わる部分は、まさに個人そのものの問題なので、取り扱いには十分注意を払わなければトラブルに発展することもあるでしょう。
たとえば、子どもに与えるモノについて。3.11の後、食品の放射能汚染を気にする保護者が、給食は遠慮して、九州から取り寄せた食材で毎日お弁当を持たせていると聞いたことがありました。「○○さん、頑張ってるね~」と言いながらも、「そこまでやるなんてすごいわよねぇ」という雰囲気の会話になり、最後は「そんなに気になるなら外食なんてできないね」「私は普通のスーパーの食材で心配してないけど」などと、どんどん、自分たちの価値観に根差した話になっていく。その輪に悪気なく加わっている私がいました。でも、もし事実と違っていることだったら、ご本人が聞いたらどんなに嫌な思いをしたでしょう。
ある時は、外国人のご主人を持つ友人が、学校を1週間ほど休ませて子どもたちを連れてご主人の母国に帰省することになり、「批判されちゃうかな」と気に病んでいたこともありました。本人と友人じゃなかったら、誰かが「私なら夏休みとかに行くかも」「1週間はさすがに長いね」などと発言しても、「そうね」などと相づちくらい打っていたかもしれない。習い事を何種類も掛け持ちさせている、とか、すごく難しい学校を目指して塾通いさせている、とか、「人の家の価値観」を覗いては、「私なら……」と自分の価値観と重ね合わせてしまうこと、よくあるのではないかと思うのです。
でも、小学生になったら異なる価値観の子ども・保護者たちとの接点がこれまでよりずっと増えるのだから、明確な善悪でないかぎり、人の家庭の価値観に違和感を持つからと言って、批評するような発言をするのは控えるべきだろうと思います。
娘が小学生時代に、お友達ともめて話し合いをしている、と連絡をもらったのに、仕事の都合でその場に駆け付けられなかったことがありました。付き添ってくれていたママから事情の顛末を書いたメールをもらい、「行けなくてごめんなさい。いろいろありがとう」と返信したら、「仕事が忙しいのはわかるけれど、もっと子どもに寄り添って、コミュニケーションを取るようにしたほうがいいのでは?」とメールが来ました。なんだか、メラメラと怒りがこみあげてきましたねぇ。
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