新日本プロレスがV字回復した「3つの理由」 倒産寸前から団体を蘇らせた人々の軌跡

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ちびっこファンが憧れるプロレスラーは、自分の兄貴くらいの年齢までが上限だろう。だからオカダ・カズチカのような年齢の若いスター選手は絶対に必要なのだ。

2012年、ドーム大会に続くシリーズで、オカダが毎晩毎晩、先輩連中からフォールを奪って、評価はうなぎ上りになっていく。それに呼応するかのように全国の都市部の大会の動員数も勢いを増していった。

理由3 背広組、レスラー一丸となっての奮闘

プロレスの興行や日々の営業を支える会社のスタッフを、背広組と呼ぶ。彼らは、これまでの新日本のドンブリ勘定にメスを入れ、年間の興行日程、特に大会場については慎重に吟味するようになった。昨年と同じ広さの会場を使う必要があるのか、観客動員数はどれくらい見込めるのか、などが厳しく議論される。希望的な観測ではなく、過去の実績から算出される予算をもとに、より現実的な判断をするように変わった。

外部に発注していた携帯サイトや公式ホームページ、選手の紹介映像などについても、自社でやれるところは、自社でやりコストカットを徹底した。昭和から続く一興行会社が、上場している親会社の指導を得て健全な組織に変わっていったのだ。

お客さんを楽しませると同時に、お客さんを不自由にさせてはいけないと、試合会場も、ワクワクするような環境づくりを心がける。お客さんを不快にさせないためにも、キャストである新日本の社員は、会場でしっかり声を出さないといけない。会場で迷っているファンがいないようにしないとダメだ、といった現場指導も積極的に行う。

ベテラン、若手をはじめ、選手層が充実したことと、それぞれがレベルアップしたことで、試合内容への評価が定着して、観客動員数も増えていった。さらには、かつてなら休養にあてていたオフをぬって、選手たちは精力的にプロレス以外の芸能活動にも力を入れるように。団体のアピールを行うためだ。

やり方次第で変わることはできる

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「広告宣伝含めた資本の支え」と「若きスターの出現」、そしてじわじわとファンの信頼を増していった試合内容の充実を含めた「社員、レスラー一丸となっての奮闘」の3点が図らずも一時に重なり、新日本プロレスのV字回復の軌跡は形をなしていった。

同時に3つの要素が重なったのだから、ここは天が味方した、あるいは「奇跡」という言葉を使ってもいいのかもしれない。

現在の新日本プロレスのリング上は、前向きなヴァイブスに満ちている。人間関係のストレスがかつてに比べてはるかに少ない。リングは自分を表現するステージという感覚が共有されている。プロレスという競技の中での自由競争が行われている。

そうした開放的な雰囲気こそが、長らく冬の時代を過ごした後に生まれ変わった老舗のプロレス団体が、ようやく手に入れたものなのだろう。

扉を開いた新時代のプロレス。道場で磨かれる選手のスキルと会社の斬新なビジネス戦略を二枚の看板にして、これからもさらに伸びていくだろう。

客足が遠のき、壊滅的に思えたスポーツでも、やり方次第では変わることができる。新日本プロレスの復活は、われわれに実に多くのことを教えてくれるのだ。

 

長谷川 博一 フリーライター

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はせがわ ひろかず

1961年、北海道生まれ。音楽出版社勤務の後、1990年よりフリーランスの活動を開始。プロレス、音楽、社会問題などについて数多くの取材記事や著作を発表している。
プロレス関連の書籍に『三沢光晴外伝 完結編』(主婦の友社)、『全日本プロレス代表取締役社長 武藤敬司』(扶桑社)などがある。

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