モス、社長を退く櫻田厚氏がすべてを語った 創業、ブランド確立、創業者の急逝、混乱…
独特のフランチャイズの仕組みは創業から6~7年後にできた。契約に縛られた関係ではなく、いわば同志の関係。心と心のつながりはものすごく人間を成長させるんだとか、一緒にやることはパワーになるんだとか、そういうのは創業当時からの精神。こうしたものがモスのブランドを支えてきた。
後任の社長は法務畑出身の役員
――1972年の創業当時からモスに関わり、1998年からは社長を務めてきた。なぜ、今社長を譲るのか?
創業者で、叔父の櫻田慧(さくらだ さとし)は60歳で亡くなった。社内外、業界を超えたところでも著名な人だったので、急逝したときは負の影響が大きかった。1人の傑出したオーナーにアクシデントがあるとリスクになる。
私は今年で65歳になる。58〜59歳のとき、「創業者が60歳で亡くなったので、自分がもしかしたら60歳でそういうことになるかもしれない…」という老婆心を勝手に持っていた。だから自分が健康なうちに次世代のリーダーを作り上げなくてはならないと考えた。役員はいても、全員が社長になれるわけではない。
自分がまだ元気なうちに、経営を経験させなければならない。5~6年前に自分の中で計画していて、それを誰にも言わず粛々と実行してきた。そして、新社長には常務の中村栄輔(57歳)を指名した。
年齢だけで切るわけではないが、この1~2年で次世代、そのまた次世代の構成を明確にしておく必要がある。私が仮に役員を外れても、中村が社長として役員人事をできるようにするにはやっぱり1期2年しかない。
私が80歳までずっとまでやるというなら時間はいっぱいあるが、それはよくないし、そのつもりはまったくない。人脈や他では取れない情報などのノウハウを、少しずつ新社長に引き継いでいく。
――外食企業の社長は大抵が現場出身のたたき上げが多い。法務分野出身で、現場経験のない中村氏が社長になるのは極めて、珍しい。
トップマネジメントとは、人を通して現場を動かすこと。彼は営業担当の役員をやるわけではない。現場を知らないよりは知っていたほうがいいが、知らないことが致命的なハンデにはならない。彼の良いところは、頭の中で物事やロジックを整理したり、それを文章化できるところだ。
理論とか物事をまとめる力はある。あとはモスでいう「心プラス科学経営」のところを今まで以上に努力すればいい。「心」のところは私が役員として最低2年いる間に、コミュニケーションの取り方などを学んで欲しい。
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