モスバーガーの正念場、脱創業家の行方は? 櫻田厚氏が社長退任、法務畑の役員が昇格

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
ニッチな商品や立地戦略で、モスバーガーは外食業界のなかでも独特のブランドでを築き上げてきた(撮影:今井康一)

1998年12月、深夜3時の池上本門寺(大田区)。「モスバーガー」を展開するモスフードサービスの櫻田厚(さくらだ あつし)氏は、境内のベンチに座って、一人で考えていた。

当時のモスは役員人事をめぐる内紛の真っただ中。営業担当の役員だった厚氏は、翌日に控えた取締役会でトップを解任し、社長に就くように要請を受けていた。深夜まで悩み抜いた末、亡くなった創業者の叔父のことを思い、「受けることが正しいかもしれない」(厚氏)と、社長職を引き受ける決意を固めた。

それから約18年後の今年2月下旬、モスは中村栄輔常務(57)が社長に昇格する人事を発表した。会長兼社長だった厚氏(64)は会長専任となる。6月の株主総会を経て、新体制に移行する予定だ。

カリスマ経営者が築いた「モス」ブランド

モスは1972年に厚氏の叔父である故・櫻田慧(さくらだ さとし)氏が創業。厚氏も1号店からかかわっている。慧氏はゼロから1500店規模に育て上げた、外食業界のカリスマ経営者だった。

同じ1970年代に創業したマクドナルドやすかいらーくが、商品値下げや出店攻勢で規模を拡大させる中、モスは違った道を歩んだ。国産野菜を使った商品開発、2等立地による省投資戦略、フランチャイズ(FC)オーナーとの強固な結び付きを武器に、独特の雰囲気を持ったモスというブランドを築き上げたのだ。

ただ、その軌跡は順風満帆とはいいがたい。1997年5月、創業者の慧氏が60歳の若さで急逝すると、社内は後任人事をめぐって紛糾。1998年12月に当時の会長と社長を解任し、厚氏が社長に就任する形で、内紛を終息させた。こうした経緯もあり「櫻田はモスの象徴」と、ある社員は言う。

厚氏は在任中に、高級バーガーの「匠味」や「とびきり」シリーズを投入し、従来のファストフードに多い赤看板から、健康や食の安全を意識した緑色を基調とした店舗へと、改装を進めた。

次ページ改革は店舗の8割近くを占めるFCにも及ぶ
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事