「地震で家屋倒壊」を生き延びる現実的な方法 命を守るための最低限の空間は確保できる

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こちらが「タスカルタワー」

「うちの社長、こんな儲からんものにえらい力を入れて…」

それでも、藤原社長はめげません。大阪南港の社長が知り合いだったので、避難タワーの試作品を南港に建てさせてもらいました。同じ頃、産経新聞が「津波に備えよと政府は言うが、少しも対策が進んでいない」という社説を出したので、その避難タワーの写真を送り、中小企業もこのように努力している、と投書しました。

直ぐに産経新聞から取材の話があり、記事になったそうです。これで少し注目度が上がりました。その後も、前面の海に対して柱の配置を斜めにして津波の力を逃がしたり、捨て杭を打って係留船などの衝撃を和らげるといった、様々な工夫を重ねました。PRのため、過去に被災した全国の港湾地域に10万部のチラシを新聞に入れて配ったこともあります。

発売から半年後、三重県志摩大王町の女性町長から申し込みがありました。第1号機の納入です。しかし、ビギナーズラックもそこまで。地方自治体にセールスに行っても、他に防災用具を買わねばいけないので、と相手にされません。2004年の開発開始から2011年までの8年間で、わずか20基の販売にとどまり、採算上は厳しい状況でした。ただ藤原社長は、「津波が来たら多くの人が助かるタワーが絶対に必要だ」という強い信念で、諦めずに営業活動を続けていました。

震災後、受注や引き合い

そこに、2011年3月11日、東日本大震災が襲ったのです。震災後、受注や引き合いが30件以上にのぼり、「早く説明に来てほしいと督促されるほど、皆さん本気で考えてくれました」と言います。

その後3年間で20基を納入し、避難タワービジネスもようやく軌道に乗り始めました(現在、42基を販売)。社員も「うちの社長はやはり偉い」と、見直してくれたそうです。 

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