熊本地震の被災者が見た恐怖と避難のリアル 震災への備えが不十分な地域でそれは起きた
筆者は熊本県益城町(ましきまち)に生まれ育ち、今年で47歳になります。熊本市に隣接し、空の玄関口ともいえる熊本空港を擁する益城町は、4月14日以降に熊本県熊本地方を中心に九州を襲っている大地震のほぼ震源といえる場所で、死者20名(17日時点)のほか多数の負傷者、家屋損壊などが発生し、被害が甚大になっている地域の一つです。
16日未明の地震も震度7に匹敵した?
14日夜に起きたマグニチュード(M)6.5の地震では最大の震度7を記録。再び16日未明に発生したM7.3の大地震時は、14日夜よりもさらに大きく長い揺れに襲われました。
新聞やテレビで震災に関連する報道がたくさん出ていますが、紙面や映像でコメントを断片的に切り取ったものが多く、被災者の視点から見た現地の問題点などがいまいち伝わってきていない面もあります。筆者は益城町の被災者を公的に代表する身分ではないものの、農業参入コンサルタントとして東洋経済オンラインに寄稿もしており、その立場から被災者のリアルな体験と問題意識をお伝えします。
4月14日夜、益城町内の自宅で被災しました。妻と娘2人の家族4人で夕飯を食べていたのですが突然の大きな揺れに襲われ、寄り添った瞬間にタンスなどの家財道具がすべて倒れてきました。子どもを守ることはできましたが、家財道具の下敷きになった妻はケガをしてしまいました。揺れていた時間は15~30秒ほどだったでしょうか。ほどなく停電もしました。
自宅から車で5分ぐらいのところに私の親が住んでいる実家があります。慌てて車で駆けつけようとしたら、道が寸断されて途中から降りて走っていくしかありませんでした。ただ、このときの揺れでは実家の建物は内外に大きな損傷はありませんでした。
私の自宅は築35年ぐらいが経過している賃貸アパートだったため、築20年の戸建て住宅である実家のほうが安全だろうと考えて、家族で実家に移動しました。実家も停電していましたが、15日の夕方には復旧しました。
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