熊本地震の被災者が見た恐怖と避難のリアル 震災への備えが不十分な地域でそれは起きた

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当初は私設だった避難所も行政から指定された途端に救援物資が大量に届きました

さらには、当初は行政が指定する避難場所になっていない私設の避難所だったため、公的な救援物資が届いていませんでした。被災地にモノがなかったワケでないのですが、行き渡っていなかった。

それがわかったのは17日の午前中になってからでした。その後、関係各所へうまく情報が伝わったのだと思いますが、17日午後には行政指定の避難場所になりました。その途端に飲食物や救護マット、毛布などの救援物資がドッと届きました。

逆に17日の夜は配給された弁当があまってムリやり沢山持たされたぐらいです。避難指定された途端の極端な対応といえます。 一方、「他の避難地は物資が足りてない」という話も聞きました。行政側に「どうにかしろ」と声を上げたところは待遇が良くなり、そうでなけば現状は変わらずというふうにも見えます。

益城町内のスーパーやコンビニは地震による停電や断水を受けて、ほとんどが閉店しました。生ものを周辺に配ってからです。一方で、復旧も進み、もっとも早かったのはセブン-イレブンだったという印象です。17日時点ではファミリーマートやイオン系のスーパーも7割は稼働していて、少し安心感が広がってきました。

被災地では自衛隊員が奮闘しています

自宅を離れて避難しているほとんどの住民が自炊は不可能です。そんな中で自衛隊員や町役場の職員は奮闘してくれています。ただ、こういう局面ではモラルが崩壊してしまうケースもあります。私自身も含めて人のわがままが出る。町役場の職員に罵声を浴びせている人を見掛けました。いろんなパターンがあって、考えさせられます。

先を考えると途方に暮れる

まさか自分が被災するなんて思ってもみませんでした。すべてが散乱する事務所の片付けや、実家の倒壊した納屋の撤収、剥がされた瓦屋根の補修、研修農場の整備など、これから先にやらなければならないことを考えると途方に暮れます。

知人や友人の中には、「何か手伝います」「何か支援物資を送ります」などと連絡をくださる人も多いです。その気持ちは本当にありがたいし、何か手助けしてほしい、すがりたいと考える一方で、それをどう受け止めて、どのように返したらいいか気を遣ってしまうという複雑な気持ちもあります。

娘は「家に帰りたくない」と言っています。よほど怖かったのでしょう。無理もありません。私でさえこんな恐怖を味わったことはないと思うくらいですから。震災を受けて、「これまでの人生」と「これからの人生」を半ば強引に考えさせられています。ただし、これは地震大国に住む日本人なら、いつ誰に起きてもおかしくない話です。

(写真は筆者提供)

山下 弘幸 農業参入コンサルタント/農テラス代表取締役

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やました ひろゆき / Hiroyuki Yamashita

1969年熊本生まれ。赤字の農業経営を短期間で黒字化させた自営業時代と、ベンチャー企業での農業法人社長時代の経験を基に、農業参入専門のコンサル会社「農テラス」を2012年に設立。新規農業参入の支援から、勝ち続ける農業ビジネス戦略まで事業者、経営者を幅広くサポートする『農業を始める人専門の経営コンサルタント』として活動。

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