「地震で家屋倒壊」を生き延びる現実的な方法 命を守るための最低限の空間は確保できる

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次々とアイディアを出し、それが製品化されて世に受け容れられていますが、やはり、着眼点が優れています。

費用が高過ぎて家の耐震補強ができないなら、寝室やクローゼットの補強だけでいいのでは? アメリカ製の掻き寄せ装置は大き過ぎて、我が国の水処理場には合わないのではないか? 津波が来て遠くの山の上に逃げるより、近くの頑丈なタワーに登った方が安全ではないか? 中小企業の事業継続のためには、金庫が流されなければよいのではないか?――。

どれも言われてみれば納得の、コロンブスの卵です。

防災事業ビジネス化のカギ

ただ、開発には時間がかかりますし、売れるにはもっと時間がかかります。従って、発明品が商売になるまでそれを支える本業がしっかりしていなければなりません。フジワラ産業には、当初は油圧装置の販売事業があり、次は、一本立ちした上下水道事業がありました。ただ、藤原社長はこうも付け加えられました。

「短期間で成果を求められる大企業では、5年、10年と成果の出ない事業は、続けられません。中小企業で、また私がオーナーだったから、我が儘を通して事業化できました」と。

もうひとつ大きいのは、日本列島に地震や津波が多発している、という事実です。藤原社長が長年に亘って腐心してきたのが、大切なものを天災・人災で失わないための防災施設の開発でした。自然大災害から国民の人命や財産を守ること。この使命感が、藤原社長を突き動かし、少々売れなくても、新商品への熱意を持続させていると思います。その結果、商品の優位性が認められて、徐々に市場に浸透していったのです。

結果として、「タスカルタワー」の販売で苦戦している時に東北大震災が起き、販売が軌道に乗りましたが、藤原社長としては、内心忸怩たる思いがあったと言います。

「人の弱みにつけ込んでいる、と言われないように、春日大社や近隣の神社仏閣にご祈祷してもらいました」

それだけ誠実に、自然災害に対峙しているのです。津波の他にも、火山爆発対策として山体にパイプを撃ち込む方法や台風被害軽減策として人工雨による海水温を下げる方法など、アイディアは尽きません。専門家、若い力を結集しようと、新たに社団法人も立ち上げました。「下町のエジソン」とも称される藤原さん、地震大国日本の防災に、その発明家魂で挑戦し続けています。

竹原 信夫 日本一明るい経済新聞 編集長

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たけはら のぶお / Nobuo Takehara

有限会社産業情報化新聞社代表取締役(日本一明るい経済新聞編集長)。1971年3月、関西大学社会学部マスコミ学科卒、同年4月にフジサンケイグループの日本工業新聞社に入社。その後、大阪で中小企業担当、浜松支局記者などを経て、大阪で繊維、鉄鋼、化学、財界、金融などを担当。1990年4月大阪経済部次長(デスク)、1997年2月から2000年10月末まで大阪経済部長。2001年1月に独立、産業情報化新聞社代表に。年間約500人の中小企業経営者に取材、月刊紙・日本一明るい経済新聞を発行している。
 

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