生命科学が解き明かした、驚きのウイルス像

ウイルスは生物か、それとも無生物か

このウイルスという存在の奇妙さを明確にするために、例えば、こんなことを考えてみよう。世界で初めて結晶化されたウイルスとして知られるタバコモザイクウイルス(TMV)は、約6000文字の遺伝子暗号を持っている。もちろんTMVは一旦鉱物のように結晶化しても宿主であるタバコの細胞に戻せば、また生物のように振る舞うことができる。

しかし、このタバコウイルスが持つ遺伝子暗号の急所の並びをわずか数個変えてやれば、このTMVはもう「生物」の世界に戻れなくなる。感染性や増殖能を失うのだ。たとえ物質としては同じタンパク質を持たせてやり、化学分析ではまったく同じ核酸組成であったとしても、その並びがほんの数個変わっただけで、このTMVは「生物」の世界から離れ、永遠に「無生物」世界の住人となり、文字通りただの核酸とタンパク質という物質になってしまう。

「生物」と「無生物」の境とは、たった数個の遺伝子暗号の並び、それだけで決まってしまうものなのか? それは我々の体から「魂」が抜ければ、我々もただの物質となり、朽ち果てて行く。そんなことを連想させる事実である。

このようなウイルスの半生物的で不思議な、この世界での有り様を、科学者達は古くから認識していた。だからそれを「生物」とするか「無生物」とするかには多くの議論があったが、現在の生物学では「ウイルスは生物ではない」とする結論に傾いている。しかし、それは「真っ直ぐな国境線」のような、あるいは「略最低低潮面による海岸線」のような、どこか力ずくで人為的な線引きでもあった。

「ウイルスの逆襲」

21世紀に入り、その状況に対する「ウイルスの逆襲」が始まっている。「波打ち際」をつぶさに観察すれば、それを一方的に陸地だとする線引きにどうしても齟齬が出てきてしまうように、科学の進展と共に力ずくでは抑え切れないウイルスの「生き物」としての側面が、次々と明らかとなっている。

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このたび上梓した拙著『ウイルスは生きている』(講談社現代新書)では、これまでの生物学の常識とは逆に「略最高高潮面」から見た「波打ち際のウイルス達」の姿を、皆様にお届けしている。それは、近年の生命科学が解き明かした驚くようなウイルス像であり、どっぷりと海水につかり、生き生きとしたウイルス達の姿でもある。

彼らが漂う「波打ち際」。そこは海と陸という、まったく違った二つの相(フェイズ)が揺らぎの中に融合する、少し特別な場所でもある。そこにしか住処がない彼らを思うことは、実は生物とは何か、あるいは生命とは何かに対する真摯な懐疑、そのものでもある。ウイルスは、決して「病」の原因となるだけの存在ではない。生命の一員として、この地球上で実に多様な役割を果たしている。それは〝驚くべき巧妙さに満ちた〟という形容が相応しいものである。そんなウイルス達の姿を是非、知って頂きたい。

(講談社「本」4月号より)
 

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