政権交代で再生する日本のデモクラシー--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト
日本を覆うムードや流行の変化は、時に津波や台風や地滑りのようにやってくる。50年以上にわたり権力の座にあった自民党は、総選挙で一敗地にまみれた。1993年に野党連立政権が誕生したときでさえ、自民党は衆議院の第一党にはとどまった。今回は、そうした最後の稜堡(りょうほう)さえも崩れたのである。
世界は中国の台頭に目を奪われ、世界第2位の経済大国における政治的な大変動に対する反応は鈍い。日本政治は世界のメディアでは退屈だと思われている。海外の編集者は、政治よりも、日本の若者文化や荒っぽいセックスの世界に関するニュースを好んで取り上げていた。
その主な理由は、自民党が権力を独占するようになった50年代半ば以降、日本の政治が面白くなくなったからだ。一部の人間は、外から見えにくい自民党の党内政治に興味を持ち、派閥のボスの権力闘争に注目していた。ただ、派閥のボスの多くは政治的に有名な一族の出身で、うさんくさい資金に依存していた。腐敗にまつわるスキャンダルが次から次に発覚したが、それは通常、調子に乗っている政治家、権力の掌握をもくろむ政治家を押さえ込むための党内の策謀であった。
こうしたシステムは、曲がりなりにも機能していた。利権にまみれつつも、自民党の派閥は交互に首相を出し、ほどほどに優秀な官僚が国内の経済政策を決定し続けた。そして、日本の安全保障(と外交政策の大半)はアメリカが面倒を見てくれていた。人々は、このシステムが永遠に続くと考えていたのである。
事実、外国人だけでなく日本人のコメンテーターも、「実質的な一党支配が日本には適している」と語っていた。彼らの主張は以下のようなものだ。ソフトな権威主義に基づく安定はアジアのやり方であり、現在では中国が踏襲している。アジア人は議会制民主主義の面倒な議論を好まない。韓国や台湾がそうした制度を導入したとき、何が起こったか見てみるといい。彼らは議会で議論を行うのではなく、議事妨害と殴り合いを始めたではないか--。