(第14回)<東国原英夫さん・前編>家出で人生を学ぶ

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(第14回)<東国原英夫さん・前編>家出で人生を学ぶ

宮崎県知事就任以来、「宮崎のセールスマン」に勤しむ東国原知事。連日メディアを賑わす注目ぶりだ。「県庁ツアー」が目玉とも言われる宮崎観光ツアーも新たに催行され、正面玄関にある知事等身大パネル前で記念撮影する人だかりも絶えない。
 そんな「時の人」東国原知事に、都城で過ごした幼少期のこと、中学二年生のときに起こした「家出事件」後の担任教師の一言、そして「芸人と政治家になる」という夢を実現させた今日までを、激務の合間をぬってお話いただきました。

●優等生から「家出少年」へ

 私の母親は、芸人になったときも、県知事になったときも驚きはしなかったのですが、一番驚いたのは中二のときの家出でした。芸人になりたいと思い、家を出ました。
 あの頃、都城市というところでは家出をする人間はいなかった。家出の記録というのを調べたら、おそらく都城管内の中学校ではゼロだったはずです。たとえば、おばあちゃんの家に遊びに行って一人で勝手に帰ってしまい、結果的に捜索願を出されたというようなことはあったかもしれませんが、明確な意志を持った家出というのはなかったので、そういった意味では自分はエポックメイキングだったのかな(笑)。
 表向きはまじめな生徒、無遅刻無欠席で、学級副委員長とかをやっていました。家出の8ヶ月前から新聞配達を始めたのですが、新聞配達をして、部活をし、学校にもまじめに行き、理想的な少年像です。そういう人間がある日突然家出をするわけですから、これはもう学校に衝撃が走ったと思います。実はその新聞配達というのも、家出の資金を貯めるためで、非常に計画的な確信犯だったんですけどね(笑)。

●学校に守られていたと知る

 結局、門司港駅で補導されたのですが……。連れ戻され、何日か学校を休まなければなりませんでした。このとき、学校というもののありがたみが身にしみて、学校に戻りたいと思いました。何でもそうですけど、物事は俯瞰で、少し離れてみないとわからないものだと思います。
 都城から門司港まで、十数時間のことですが、学校から解放されると、大海に放された一匹の魚みたいに、行き場がないのです。動き方を知らないというか。ましてや小学校、中学校と狭い町、狭い空間で生活しているから、それを急に日本とか世界とか言われたときに自分の動き方が困ったというか……。あと、不安と不信と恐怖とか、家出の最中はずっとそれとの戦いばかり。孤独、恐怖、不安、その全部がないところが学校なのです。実は自分は守られていたということを再認識しました。また、そこには友情もあったし、愛情もあった。学校内には生活の基盤そのものがありました。居心地のよさもあった。結局、保護されていた。過保護じゃなく、いいバランスで。  この家出していた時間、いわゆる社会の恐怖や厳しさに少しだけ触れたような気がしました。
 用意周到に、どの線路でどの電車に乗って、どの時間でということはすべて計画通りだったのですが、精神的なことは予想外。ホームシックや、故郷や学校の大切さ、ありがたみがわかってきました。

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