BPO委員長、「政府の放送法解釈は間違いだ」 NHK「クロ現」過剰演出への政府対応に物申す

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BPOを改革する場合に、自民党内で出ているように行政や政治家を関与させる案は?

あってはならない。BPOの存在価値がなくなってしまう。放送法は放送局の側が自主的・自律的に放送倫理を向上させていくことを求めている。その自主自律を助けるために、第三者で専門家である我々が意見を述べる。そのことで放送局側も独善的な判断をせずに、なるほどと理解できる部分があるというのが今の仕組み。政府権力に放送倫理はこうなのだからこうしろと言わせないための仕組みだ。その仕組みに行政官や政治家が入ってきたら全然意味がない。

我々は放送局からも独立しているが、それ以上に行政や政治家らは離れて、表現の自由を守るためにある。しかし放送の場合は表現の自由があると言っても、公共の電波を使う立場としてフェアネスが明らかに求められる。その部分をBPOが担保しているので、行政や政治家がフェアな放送とはこういうものだと言い始めたら独裁国家になるだけだ。

番組の具体的な問題について意見を言うのが役割

放送の自由が脅かされる事案が最近目立つ。選挙報道での要望書や自民党の局の聴取などだが、BPOとして見解表明ができないものか?

我々は特定の番組で起こった問題について意見を言う立場でずっとやっている。具体的な番組について意見を言うなかで、必要なことを言うというスタンスを崩さないことに足場がある。選挙のときのあの問題にしても、その後の選挙報道のなかで変なことがない限り取り上げない。具体的な番組の中で何か問題が起きたときにその延長で言うことになると思う。番組で何も問題が起きてないのに、意見を言うのは我々の役割ではない。

ただ今回は新聞各社から取材申し込みがあり、ああいう騒がれ方をした以上、BPOとは何かをこの機会にきちんと広報したいという気持ちが強くあった。我々は言論統制の機関ではないと一番言いたい。ある小説に調査報道をしようとするとBPOで問題になるぞと権力側が脅す場面があって驚いたが、逆だ。BPOは言論の自由を狭めようとやっているわけでない。

放送の場合、公正さを逸脱したら言論の自由を守れなくなる事態になるおそれがあるので、そこを注意してもらう。J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という小説があるが、ライ麦畑のキャッチャー(受けとめ手)だ。子どもが広い野原で自由に遊んでいてつい夢中になって野原から飛び出してしまい崖から落ちそうになるのを抱き止めるという役割だが、BPOの役割はそれに非常に似ている。放送倫理という局面で注意喚起することで本当の崖に落ちないよう援助している。

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