3年目となるフレズノでは、スタッフや選手ともすっかり打ち解けていた。互いの信頼関係もあったから、その年のアスレチックトレーナーの資格試験を受験する予定だった植松は、チームに対して「遠征中も勉強がしたいから、コーチたちと同じように自分もひとり部屋にして欲しい」と願い出た。
「ちょっと考えてから、また連絡する」
そう言われたまま迎えたシーズン開幕前夜、携帯にジャイアンツ副GMのボビー・エバンス氏(現GM)からのメッセージが残っていたのですぐに折り返した。
「申し訳ないけど、マイナーリーグの資金ではひとり部屋を用意するのは無理だ」
エバンス氏は謝りながら、でも、と続けた。
「メジャーリーグではひとり部屋だぞ」
は? 何を言っているのかといぶかる植松に、エバンスは告げた。
「明日、ミルウォーキーでジャイアンツに合流しろ。お前は通訳としてではなくて、ブルペンキャッチャー、バッティングピッチャーとしていく。ただし、藪に助けが必要な時は手伝ってほしい。何日チームにいられるかはわからないから、それは覚悟しておけよ」
植松は過去2シーズン、ジャイアンツからの要請で突然フレズノから昇格する選手の姿を見てきた。同じことが自分にも起こったのだ。植松は、イエス、とうわの空で返事をしながら携帯をギュッと握りしめていた。
植松にしかできない技術
2008年の春からサンフランシスコ・ジャイアンツの一員となった植松は、それまで以上にひたむきに働いた。
「フレズノに入ってからずっとメジャーに上がることばかりを考えていたから、最初の頃はチームにいられるだけで幸せでした。いつ、フレズノに戻れと言われるのかなという気持ちはあったけれど、必死にできる限りのことをやって、戻れと言われたら諦めがつくから、とにかく一生懸命働くことだけ考えていました」
ジャイアンツでも、それまでと同じように3つの仕事を掛け持ちすることになったが、メインはブルペンキャッチャー。登板直前のピッチャーのボールを受けマウンドに送り出す。言葉にするとシンプルな仕事ながら、植松は自分なりの色を出すことを意識した。
そのひとつが、キャッチングだ。ボールをキャッチするときに、キャッチャーミットの芯でボールを受けると、「スパーンッ」と快音が響く。芯を外してほかの場所にあたると、ボールの勢いが消えて音が鳴らない。この技術を個性にした。
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