それが2007年7月10日、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地AT&Tパークで開催されたオールスター戦だった。
緊張するというより、とにかくワクワクしていたという植松は、ブルペンで岡島の球も受けたそうだ。岡島も目の前のブルペンキャッチャーが、まさか高校3年間、補欠だった男だとは思いもしなかっただろう。
もし、その年のオールスターがサンフランシスコ開催でなければ植松に声がかかることもなかったと考えると、幸運以外の何物でもない。フィールドの片隅で夢見心地のひと時を過ごした元高校球児のなかで、「いつかメジャーへ」という想いはますます強くなった。
だから、思い切って行動を起こした。マイナーのシーズン終了後、ジャイアンツの幹部に訴えたのだ。
「オールスターの経験もあるし、メジャーに上がれないかな」
その時は、「何十年やってもメジャーに上がれないコーチがいるのに、そんなに簡単に上げられるわけないだろう」と一蹴されたが、野球の神様は再び植松にチャンスを与えた。
藪恵一との出会い
2007年、マイナーリーグのシーズン終了後に行われる教育リーグのキャンプ中に、元阪神タイガースのエースで2005年からメジャーでプレーしていた藪恵一がサンフランシスコ・ジャイアンツのテストを受けに来たのである。そのキャンプでブルペンキャッチャーをしていた植松は、藪のテストでボールを受けることになった。
テストで好結果を出した藪は、翌春、ジャイアンツのキャンプに招待選手として参加。このとき、トレーナーのアシスタントをしていた植松は、テストの際にキャッチャーを務めた縁もあって、藪の通訳を買って出た。通訳をしていれば、必然的にジャイアンツのコーチ陣などそれまであまり繋がりがなかった人とも話をするようになる。これは絶好の機会だと、タイミングを見てコーチ陣にアピールした。
「僕はマイナーリーグでブルペンキャッチャーをやっているのだけれど、もし藪選手がメジャー契約したら、自分は通訳だけじゃなく、ブルペンキャッチャーも、バッティングピッチャーもできると話しました」
メジャーレベルでも、ひとり三役できるスタッフは珍しいのだろう。「それはいいアイデアだな」とコーチ陣の反応は上々だった。
もしかしたら……という期待は高まったが、なかなか声がかからない。そのうちに、ジャイアンツはオープン戦のために、キャンプ地からサンフランシスコに戻ってしまった。フレズノは、まだキャンプ中で、ある日モヤモヤした気持ちのままテレビを見ていたら、藪がジャイアンツと契約したと報じられている。植松はガックリとうなだれた。
「これはもう、自分は呼ばれないということだろう。今年もフレズノか……」
メジャーリーグに指先が引っかかったような気持ちがしていただけにショックは大きかったが、いつまでも落ち込んでいても仕方ない。フレズノでもう1シーズンやるだけだ。
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