山崎光夫
房中術書『黄素妙論(こうそみょうろん)』は男女の交合(性生活)を実践的に説いた性の指南本である。交合においては、慎みを基本に、決して過多に陥ってはならないと説く。ほどほどの交合は病を遠ざけ、養生に適うので長命を得られるという。
そして、年齢に応じたガイドラインを提示する。
「男子、二十歳にいたらば三日に一度もらせ、三十歳にいたらば五日に一度もらせ、四十歳にいたらば七日に一度もらせ、五十歳以上は半月に一度もらせ、六十四歳以上はしいて妄(みだり)にもらすべからず」
もらす、とはこの場合、射出するの意味。それ以外のときは、もらしてはならない。これが男子の慎みであり、交合という戦場でのいわば戦略である。
さて、この交接のガイドラインでは、江戸・元禄期に活躍した儒医、貝原益軒が、かの『養生訓』のなかに記した回数が有名である。
「年二十の者は四日に一たび泄(もら)す。三十の者は八日に一たび泄す。四十の者は十六日に一たび泄す。五十の者は二十日に一たび泄す。六十の者は精をとぢてもらさず。もし体力さかんならば、一月に一たび泄す」
この回数が江戸時代から現代まで取り沙汰されている。もらしてはならないときは自制する。接してもらさず、の教えである。
「あれ、回数がちがうではないか」
と気づかれた諸氏も多いと思う。
確かに、『黄素妙論』と『養生訓』ではそのガイドラインの回数がちがっている。これは筆者の理論や体験、考えのちがいが反映したものといえる。
しかし、『黄素妙論』も『養生訓』も限度を越えた交合を戒める点では共通している。
貝原益軒は、
「法外のありさま、はづべし」
として房中で溺れる者を軽蔑している。
益軒は300年以上も前の江戸時代に、八十五歳の長寿を得て、死の直前まで執筆に勤しんでいた人物だけに、その教えは説得力がある。
さて、『黄素妙論』は交合の具体的方法として、九つの体位を提示している。ここではその第一の「龍飛勢(りゅうびせい)」を紹介する。
女人を仰向きに寝かせて、開いた股に男子がかぶさる形を龍飛勢と名づけている。あたかも龍が飛んでいる恰好になるのでこの名がついたという。
さらに具体的方法が提示される。交合時の「深浅(しんせん)」(深いと浅い)を重視する。
そして、特に、「八深六浅(はつしんろくせん)」の法をすすめている。
「八深六浅の法」とは何か--。『黄素妙論』は記す。
「ふかく指(さし)入れて、いき八息(そく)をつき、あさくぬきあげていき六息をつく也」
深くさしいれて八回呼吸し、浅くぬきだして六回呼吸するのである。
戦国武将が学びとった房中の極意であり、健康術の一端である。この術を会得すれば、「男女ともに気めぐり血通じて諸病たちまちにいゆるなり」(男女ともに満足して、あらゆる病気は治る)という。無病息災の世界が展開する。
この房中術に興味を抱き、さらに奥義を究めたい向きは拙著『戦国武将の養生訓 』(新潮新書)を手にとっていただきたい。戦国時代の名医・曲直瀬道三が毛利元就に贈った健康指南120首『養生俳諧』と房中術書『黄素妙論』を初めて解読、解説した。
この指南書で、遠く戦国の世に想いを馳せるのもまた一興ではないかと思う。
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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