ある日、PHPから出している書籍の新聞広告を見ながら、「きみ、この本を出していること、わしはきみの報告を受けておらんで」と言う。いや、このごろは発刊点数も多くなっていちいちご報告するのもかえってご迷惑かと考え、毎月の発刊書籍の中から選んで数冊報告させていただくことにしましたので、と言うと、松下の表情が厳しさに変わった。
「誰がそうしろと言ったんや。誰がそう指示したんや」
たくさん発刊した書籍をご報告することはご迷惑かと思いましたし、それにPHPの理念、考え方にそぐわないようなものは、しっかりと私が確認させていただいておりますから、と、眉間にしわをよせて睨むような表情の松下を見ながら答えると、雷が落ちた。
頭の中だけで理解したつもりになるな
「きみがそんなことを勝手に考えるとはなにごとか!きみは自分で十分にPHPの考え方を理解把握していると思っておるのか。それは過信ではないか。頭の中だけで理解して、それを自分はわかっておる、理解しておると思っているだけや。
わしから見れば、まだまだきみは頭ではわかっておるやろうが、腹では理解しておらん。腹でわかっておらんものが、理解しておるつもりで、判断する。そういうことはきみにはまだ許されることではない。そういうことはきみにはまだ早い。それに、わしに報告しないその本を、書いてくれた先生にも申しわけないではないか」
3時間ほど立たされたまま叱られ続けた。しかし、私が松下の言おうとすることをおぼろげながら理解できたのは、数年経ってからのことであった。
教えること、習うことのできるものがある。しかし一方、教えることも習うこともできず、自分で会得するより仕方のないものがある。知識は教えて教えられるが、知恵は教えて教えられない。だからたとえば、経営学は教えることもできるし、習うこともできるが、経営は教えることも習うこともできない。経営のコツというのは、口で言えないものがあり、自分で会得するしかない。そして会得するということは、体験によって「あ、これだ」と感じとり、それを高めていくしかない。日々の積み重ねをしていくしかない。
PHPの理念の繰り返し繰り返し私に向かって話していたのは、私がその理念、考え方を頭で理解するにとどまっていると感じていたのだろう。そして、私の「腹に入る」のを見ていたのだろう。
それからはPHPで発刊した雑誌、書籍はいくら多くてもすべて松下に報告することが続いた。
5年ほどたってから、松下は、「きみに任せるから、きっちり責任をもって判断せいや」と、にっこり笑って声をかけてくれた。しかし私はそれからも、相当長い期間「すべて報告」の原則を守り続けた。
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