堀江貴文氏「なぜみんな本音を言わないの?」 それで失うものは、大したものではない
本音を言うと「人間関係が悪くなる」と思っている人もいるかもしれない。しかし、職場になじんでいようが、浮いていようが、仕事の結果には何の関係もない。同僚に陰口を叩かれるというのなら、相手に面と向かって「陰口を言わないでください」ときちんと言えばよいだけの話だ。
それであなたがやるべき仕事にどんな実害が及ぶのだろうか。
仕事で望ましいのは「セミドライ」な関係
当然のようだが、職場で大事なのは、やるべき仕事をやることだ。
僕にとって、仕事で望ましいのは、「セミドライ」な関係だ。仕事として相手には尽くすけれど、互いに寄りかからない距離がいちばんいい。
マンガでいえば、「ワンピース」的なものではなく、どちらかというと「島耕作」的なもの。
「ワンピース」では、「あいつは仲間だから」というだけの理由で、落ち込んでやる気を失った仲間にいつまでも構い続ける。しかし、仕事は、自立した個人が、目的を達成するためにつながって行なうものだ。慣れ合いではなく、目的を達成するために与え合う。そうしたベタベタしない少しドライな関係が僕にとっては気持ちがいい。
それから、日本人はとにかく議論を避けて、「意見」を同じにしたがる。僕はこれまでにさまざまな人と対談してきた。なかには、議論がまったくかみ合わなかった人もいる。でも、だからといって、相手を嫌いになることはないし、尊敬の念が減るわけでもない。
しかし、「お互いの価値観が異なっていることがわかる」というのは、とても大事なことだ。
なんとなくわかったふりをして議論が終わるのと、たとえ自分の価値観と違っていても、しっかり相手の意見を聞くのとでは、どちらが「相手のことを知る」ことになるだろうか。
たとえまともな議論にならず、ケンカになっただけだとしても、人と議論することが無意味だとは思わない。僕は、意見が一致しないからという理由でその人のことを嫌いになったりはしない。意見が一致しないことと、相手のことを嫌うということは、そもそも、まったく別のことだ。
だから僕は、対談だけでなく、ソーシャルメディアでも積極的に人とぶつかり合おうとしている。それは、その人が嫌いだからだとか、人格を否定するためではない。違う意見を持った者同士がぶつかることで、新しい発見があるからだ。
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