意外に知らない都心に残る「江戸の史跡」10選 赤穂浪士討ち入りの日に「江戸」を考える

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7.北町奉行所跡(千代田区)

東京駅八重洲口の近くにある。駅の建て直しなどで「奉行所跡」は何度も移転、たった一枚の碑文として駅の出口の脇に埋め込まれていた時期もあったが、現在では石組みの溝などが展示されている。高層ビルの谷間とあって場所が分かりにくいだけに、発見した後に近くで缶コーヒーでも飲めば、味は格別かもしれない。

苦労人だった「遠山の金さん」

北町奉行といえば、桜吹雪による名裁きの「遠山の金さん」が有名。銭形平次とは違い、このキャラには実在のモデルがいる。遠山景元(遠山金四郎)という旗本で、1840年に北町奉行に就任。天保の改革を進めた老中・水野忠邦に逆らい実質的に左遷されたが、水野失脚で1845年、大岡越前で有名な南町奉行に返り咲いた。

奉行所跡がめまぐるしく形を変えたのも、これに倣ったのかもしれない。ついでながら南町奉行所の跡は、有楽町駅の近くにある。

8. 遠山の金さんと鬼平の屋敷跡(墨田区)

遠山景元の屋敷跡には、面白い因縁がある。池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」に登場する火付盗賊改め長官、長谷川平蔵も実は、19歳の頃から同じ屋敷に住んでいたのだ。平蔵の孫の代になって遠山景元が移り住んだ。

平蔵も旗本の家柄で、盗賊逮捕に貢献しただけでなく、職業訓練を通じた社会復帰を目的とする石川島の人足寄場を提案して実現させた。屋敷跡のモニュメントは、都営新宿線の菊川駅のすぐ近くの歯医者の前にある。

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