意外に知らない都心に残る「江戸の史跡」10選 赤穂浪士討ち入りの日に「江戸」を考える
9.吉良邸跡(墨田区)
忠臣蔵に戻ろう。鬼平と金さんの屋敷跡からJR両国駅に向かって20分程度歩けば、赤穂浪士に討ち入られた吉良上野介の上屋敷跡がある。1934年に地元町会有志が発起人となり、この一角を購入して当時の東京市に寄贈したのが整備のきっかけだ。
当時の86分の1の広さしかないが、柔和な顔をした上野介の座像や討ち入りを描いた絵などのほか、小さな神社や襲撃の犠牲となった吉良家家臣の碑が置かれている。討ち入り日の毎年12月14日には、義士祭だけでなく、吉良祭というイベントも開かれる。
「人間の過ち」は時代を超えて
10.泉岳寺(港区)
締めくくりは言わずと知れた泉岳寺。赤穂浪士や浅野内匠頭夫妻の墓があり、朝から線香の煙が絶えない。14日は夜10時まで義士祭が開かれている。
それはさておき寺の門の隣には完成間もない8階建てマンションがそびえる。参道脇の土産物屋の女性は「あれができてビル風がひどく、正午近くまで陽も当たらなくなった」と嘆く。門の脇では、このマンション建設に反対するのぼりが虚しくはためいていた。
彼女は「近くに品川と田町の間のJR新駅ができる予定だが、どうなることか」と不安げな表情。少し離れた京浜急行の泉岳寺駅(地下)の辺りには、11日に開業したばかりの巨大なアパホテルが見えた。
赤穂浪士の討ち入りは美談ではあるが、たった一人の殿様の短気で数多くの生命が失われたのも事実だ。日本橋が前回の東京五輪で景観を大きく損なったことや、2020年五輪に向けて泉岳寺周辺が開発の波にさらされている現状を見ると、人間は取り返しのつかない過ちをしてしまうものだ、と改めて実感させられる。
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