日本人は時間管理を重視しますよね。でも、モンゴルでは「何時までに必ず着きましょう」とか言うのはタブーで、神様が怒って途中で邪魔すると考えられていたりします。
――「また来ます」というような社交辞令も、本気でないなら言わないほうがいいと聞きます。
言ったことは本気でとらえるのです。「また来ます」と言うと「いつ来るの?」「来ると言ったじゃないか」となります。日本ではよく「検討します」や「またやりましょう」など建前で言いますが、そのとおりに受け取るので、そこははっきりと言わないといけません。
日本人と同じく、自然神を信じるモンゴル人
――日本でも「八百万の神」と、自然の中の神様が信じられていたので似ていますね。
そうなのです、そこが私は日本とモンゴルが似ているところだと思います。日本はもともと神道で、自然の中に神を感じていました。それは言ってみればシャーマニズムです。その後、仏教や儒教が入ってきて、それらが入り交じったものが今の日本です。モンゴルもそれに近いのです。
シャーマニズムから始まり、12世紀のジンギスカン時代からラマ教、キリスト教、イスラム教が入ってきました。20世紀の初めに共産主義になり、その後、70年間、ロシアの社会主義下で無宗教になりました。さまざまな宗教が交ざっている点で、宗教に関しては日本人と近い考え方を持っています。亡くなった方を敬い、また亡くなった方が神となるという気持ちも同じです。元寇のときに日本に向かって亡くなった人を、壱岐で祭ってくださっているのを知って、モンゴル人は感動するのです。
ーー遊牧民の住居「ゲル」の中でのマナーにも、「自然の神」を敬う心が根付いていますよね。
はい。ゲルの中央には柱が2本あり、その間に火がたかれています。その柱と柱の間は神様の空間です。そこに火の神や天窓を通って入ってきたさまざまな神がいて、その家庭を守っています。その間に人が入って空間を壊すのはとんでもなく失礼なことなのです。神だけでなく、その家庭を壊すことを意味します。
ですから、モンゴルではお茶を渡すときは、その柱の外から回ってお茶を渡します。そのマナーを知らない人が柱の間を通して手を差し出すことがありますが、それはタブーです。
また、座る場所も若い人は柱の奥までは進めません。若いのに柱の奥に座ろうとすると「お前何なんだ」と言われてしまいます。若い人は入り口のほうに座ります。そして女性は入って右、男性は左です。
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