あの時代を戦い抜いた記者・石橋湛山を読む 湛山は、天下国家の記者だった
一体、湛山は、どんなジャーナリストだったのか。まず、湛山は、筋金入りの自由主義者だった。
湛山は戦後、ジャーナリストとしてだけでなく、思想家として、それも「徹底した自由主義者」(経済史家・長幸男)として再発見されることになった。
その思想の根幹は、自助(セルフ・ヘルプ)である。個人のかけがえのない価値を大切にする。社会としても、それを最大限尊重し、それをめいめいが引き出すことを奨励する。その意味において自由主義は個人主義でもある。
湛山は、福沢諭吉の「独立自尊」の哲学に深く共鳴するところがあった。
「人は生まれながら独立不羈にして、束縛をこうむるのゆえんなく、自由自在べきはずの道理を持つということなり」。
福沢諭吉はそう論じた。福沢は、個々人の価値と教育によるその能力と可能性の開花と個人の突破力を信じ、その思想と理念を基にした社会システムの構築が可能であり、持続的であると信じた。
この烈々たる気概を湛山も受けついだ。
自由のために戦う愛国者
次に湛山は、愛国者だった。
湛山の愛国心は、世界に開かれた躍動する日本への惜しみない愛情であり、強張った民族主義や武張った国粋主義の対極にあった。
湛山は日本の国益を大切にしたが、それは「洗練された自己利益」(enlightened self-interest)をその内実とした。こちらの国益を大切にする以上、相手の国益も同じように大切にする。その両者の接点を見出すのを双方ともプラスと感じ、長続きさせようとする、そうした「開かれた国益」の追求である。
湛山においては、愛国心と自由主義は互いに矛盾する存在ではない。
思想の芯は、個人の価値をいかにして最大限実現するか、にある。
「人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として、人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない」(「思へるまゝ 国家と宗教及文芸」『東洋時論』1912年5月号)。
しかし、人間は社会の中で生まれ、育つ動物であり、国家と歴史から超越して存在することはできない。人間は「人間の条件」があってはじめて成り立つ存在なのである。エドマンド・バークは『フランス革命の省察』の中で、次のように述べている。
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