メジャーに行くなら「鍛えるべきは野球だけではない」 MLB国際スカウトが指摘《いま"評価される"高校球児》の条件

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1年後に帰国したものの、当時の中曽根康弘首相から「再渡米を期待する」と電報を受け、さらにレベルの高いアリゾナ州スコッツデールにあるコロナド高校に入学し、レギュラーとして定着した。

帰国して阪神タイガースに球団職員扱いの練習生として84年6月から9月まで3カ月間在籍。しかしプロ野球選手となることはできなかった。

当時、歯科医師を目指していた兄の助言で歯科技工士となって働いていたが、阪神・淡路大震災(95年)で被災し、これが人生の転機となった。

「湾岸戦争(90年)やバブル崩壊で経済状況は悪化していましたが、まだ『底を打った』という感覚はありませんでした。しかし、阪神大震災で決定的な打撃を受けました。歯科医院にほとんど患者さんが来なくなり、売り上げが立たなくなりました。歯だけを見つめる仕事ですから、集中力がないと、どうもできない。このままでは、自律神経がどうにかなってしまうと思って、外に飛び出しました」

その後、「好きなゴルフに関わりたい」とゴルフ場でキャディーのアルバイトを始めたが、復興の途上ではコースに出てゴルフをするお客さんは、そう多くない。

そこでキャディーをしながら、コースのメンテナンスに汗を流し、「がむしゃらに体を動かした」。シャベルやツルハシ、一輪車を使った土木作業や除草作業をして働き、就業後はゴルフに打ち込んだ。

「気力、体力だけは、養っておこう、気持ちだけは強く持たなあかんと思い2年間、ゴルフ場でのアルバイトを続けました。また、フィリピンにボランティアにも行き、貧しい中でも一生懸命生きている子どもたちに励まされました。そんな中で、お金だけを求めて働く気持ちにはなれませんでした。当時、次に何があるかは、まだ考えられませんでしたが、『チャンスが来たら行こう』と、漠然と思っていました」

97年にゴルフショップを開業し、経営は順調に進んだ。そのタイミングで、コロナド高校時代に世話になった監督の娘婿がMLBのダイヤモンドバックスのスカウトをしており、「日本人担当のスカウトをやってほしい」と声がかかったので、ゴルフショップの経営と並行してスカウト業を始めた。

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