「国衆は強く、甲斐は災害続きで収穫が不安定」絶望的な境遇の武田信玄が愛読した意外な実用書!《大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目》

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さらに、相手の体調を気遣う書状からは「お酒を飲み過ぎない」「寝過ぎない」「つらい恋愛をしない」「寒いときに薄着したり、暑いときに厚着しない」「深夜に食べない」といった、健康のために気をつけるべき生活習慣が説かれていたりもする。

庶民用の初等教科書として、『庭訓往来』は室町から江戸時代を経て、明治初期まで広く普及することとなった。いわゆる「往来物」の代表格だ。信玄は8歳にして『庭訓往来』で書状の言い回しについて学んだという。

当時、書状はもっとも重要な通信手段である。その書き方を信玄が早くからマスターしていたことは、情報戦を張り巡らせるにあたって、どれだけ役立ったことだろうか。

「地の利」を学べる実践的な『人国記』も愛読書だった

また戦においては、全国各地の地図と、その土地土地に住む人の人情、風俗、気質などを踏まえておくことが欠かせない。

それらを事細かに記した作者不詳の『人国記』も、信玄が戦の準備をするにあたって、重宝した一冊だ。信玄は自身が重要だと感じた箇所を書き写して、常に手元に置くようにしていたというから、『人国記』を使い倒したことがわかる。

信玄が治めた甲斐の民は、『人国記』でどんなふうに書かれているのだろうか。

「この国の人々は気性が荒く頑固で、傍若無人な振る舞いが多い。そのため、為政者は庶民を苦しめ、庶民は為政者をバカにして、それに逆ギレした為政者は重箱の隅をつつくように弾圧を強化……この為政者にして、この庶民ありである」

信玄は、我の強い民たちや暴政で嫌われた父のことを思い苦笑したかもしれないが、こうした各国の説明書きは、江戸時代初期に書き加えられたものらしい。

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