川田利明が明かす…盟友・三沢光晴との30年以上にわたる"命がけのケンカ"の凄まじい【ガチさ加減】
どれが、どの試合が(最も危険だったか)というのはない。むしろ"どれも"だよ。
他の試合であれば、技を食らった時に瞬間的にでも余裕があれば、受け身は取れる。ただ、三沢さんとの試合では受け身を取れていないことがけっこう多かった。三沢さんと最後の試合になったノアの05年7・18東京ドームでも、最後のエルボーで俺がヒザから崩れ落ちていったしね」
「もしリングに上がり続けていたら、俺も…」
三沢には、川田の力量なら危険な技をかけても受け身を取れるだろうという"信頼感"があったのではないか。
「いやいや、お互いにそこまで考えていたらできないと思うよ。『お前だったら大丈夫』というよりも、『お前だからやる』じゃない?
三沢さんが(09年6・13の広島大会で)亡くなったことは、長年にわたって危険な試合をやり続けた延長線上にあること。
俺は三沢さんが亡くなってから1年ぐらいでリングを降りたけれど、当時も体はボロボロだったし、もしずっとやっていたら、たぶん俺も……。
昔、よく小橋がカッコいいことを言っていたじゃん。『俺は今日、リングの上でいつ死んでもどうのこうの』みたいな。
(97年1・20大阪府立体育会館大会の三冠戦で王者・小橋が挑戦者・三沢を迎えて)お母さんに電話をして『俺に何かあっても、三沢さんを恨まないでくれ』みたいな話があったよね。
でも、本当に死と隣り合わせで生きている時は、逆に口に出さないものだよ」
取材・文/丸井乙生
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