川田利明が明かす…盟友・三沢光晴との30年以上にわたる"命がけのケンカ"の凄まじい【ガチさ加減】
「俺に対してだけ、何か特別な感情をむき出しにしてくるから、そう(ケンカマッチのように)なるのだと思うよ。三沢さんは小橋(建太)とベストバウトと言われるような試合を何度もしているけれど、感情を出してはいないじゃない?
小橋以外でも、他の選手との試合では感情をあらわにしている姿は全然見たことがなかったし、そう感じたこともなかったね。あとから試合の映像を観ると、やっぱり俺の試合の時だけ顔に出ている。他の選手との試合とは顔が違うよ。ムキになっている感じはしたから。
年齢は1歳しか変わらないけれど、俺は高校からずっとつながっている後輩だから、後輩には負けたくないという気持ちが三沢さんは強かったんじゃないかな。
俺からすると、試合では三沢さん以上の感情を出していかなければ、という思いのほうが強かったね。だから、俺の感情も三沢さんとの試合にはとくに出ていたと思うよ。
三沢さんとは本当にたくさん試合をしたから、どの試合で何をしたのかはわからない。どれがどれだかも全然覚えてないしさ。日本テレビさんから以前、三沢さんとのベストバウトについて取材を受けた時も、『考えてみますが、選べないです』としか言えなかったんだよ」
30年以上にわたる三沢との「長いケンカ」の原点
30年以上にわたる長い長い"ケンカ"は、高校時代、川田が1年生として寮に入った瞬間から導火線に火がついた。
「俺が高校に入学した時は、1学年上の先輩たちが栃木国体の強化選手として集められて、人数がそれなりにいた。三沢さんの代に7人くらいはいたかな。でも、俺の代は自宅生はいたけれど、寮生は俺1人だったから、寮の雑用がものすごく多かった。
高校時代のレスリング部は、今ならどんな言葉で表現すればいいのかな……"アタオカ"の集団みたいな感じだったんだよね。普段からイジメみたいなこともあったし、何かあるとすぐ『正座』。
ただ単に正座するのではなく、1時間2時間もさせられる。そのうえ、殴られるし。仏教の高校だったから、座禅の時に肩をピタンと叩く『警策』や、昔の軍隊教育の名残なのか、『精神注入棒』という丸太みたいに太い棒もあって、それでぶん殴られたこともあったね。


















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