伝説の「1・4事変」の裏で何が起こっていたのか…小川直也が語る《破壊王・橋本真也》との数奇な運命

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小川直也が「運命的な存在」だった橋本真也について語ります(写真:笠井浩司/KKフォトグラフ)
1999年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会。当時、「破壊王」と呼ばれ新日本プロレスの強さの象徴でもあった橋本真也が、小川直也から実質的なKO負けを喫した一戦は「1・4事変」として、今でもファンの間で語り継がれています。
余りにも衝撃的だったこの一戦の背景には、いったい誰の、どんな思惑があったのでしょうか。小川直也氏の共著『証言 橋本真也 小川直也、佐山聡、蝶野正洋らが語る破壊王と「1・4事変」の真相』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

互いに「運命的な存在」だった小川と橋本

プロレスラー・小川直也を語るうえで師匠・アントニオ猪木と並んで絶対に欠かすことができない存在、それが橋本真也だ。

1999年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会での橋本真也vs小川直也戦。当時、新日本の強さの象徴でもあった破壊王をマウントパンチと顔面蹴りでボコボコにし、事実上KOした通称「1・4事変」以降、小川のプロレスラーとしてのバリューは良くも悪くも大きく上がった。

その後、90年代末から2000年代前半にかけて、小川はプロレス界と格闘技界で別格の存在感を示すことになる。

"暴走柔道王"小川直也とは、一連の橋本戦によって形成された小川のプロレス界でのキャラクターであり、00年代、小川が新たなプロレス人気復興のために心血を注いだ「ハッスル」も橋本との盟友関係があってこそ生まれたもの。小川のレスラー人生は破壊王とともにあった。

一方、それは橋本にとっても同じことがいえる。「1・4事変によって橋本のレスラー人生は暗転した」といわれることもあるが、同時にそれは新日本という枠にとらわれない、プロレス界での可能性を広げる結果にもなった。

小川戦がなければ、橋本が新日本を退団し、自分で団体を立ち上げ、念願だった一国一城の主になることはなかったのではないか。もしくは、なっていたとしても数年遅れていたことだろう。

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