伝説の「1・4事変」の裏で何が起こっていたのか…小川直也が語る《破壊王・橋本真也》との数奇な運命

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しかし、小川自身が1・4事変について語ることはなく、一方の当事者である橋本と、黒幕と目されていた猪木が亡くなったことで、謎は謎のまま時は過ぎていった。

そんななか、21年8月23日に放送されたカンテレの深夜番組『こやぶるSPORTS超』で、ついに1・4事変の真相について小川が語った。

〈これはまだみんなに話したことはないんですけど、猪木さんに『ちょっと来い』って言われて。『これはもう世紀を懸けた一戦にするから、ちょっとお前、やって来い。一方的に蹴りまくって、最後は蹴ってリングから出すまでやれ』って言われたんですよ〉

これが「猪木黒幕説」を小川自ら証言した初めてのものとなった。その後も自身の公式YouTube番組で、「1・4の話を正確に、後世に残したい」「尊敬する師匠が描いたものを後世に残したい」という思いから、1.4事変について言及している。

そして、この1・4事変から数えて3度目の一騎打ちとなる小川戦が、橋本の新日本退団、独立の起点となり、橋本、小川の物語は加速していく。

テレビ朝日が仕掛けた「負けたら、即引退」

99年1・4東京ドームで完膚なきまで叩き潰された橋本は、紆余曲折あって同年10・11東京ドームで小川と再戦。従来のプロレスの常套的な流れでいけば、ここで橋本がリベンジしてハッピーエンドとなりそうなところだが、なんと橋本は再戦でも小川に完敗を喫してしまう。

そして年が明けて00年3月11日、横浜アリーナで行われた「メモリアル力道山」。この大会の総指揮を任された猪木の強権発動により突如、橋本と小川がタッグを結成し、天龍源一郎&ビッグバン・ジョーンズ組と対戦した。

しかし、橋本は会場入りする際、UFOの村上和成の襲撃に遭い額から流血。その血は、メインイベントまで止まることなく、橋本は白いハチマキを鮮血で滲ませながらフラフラ状態で入場。新顔のジョーンズにわずか8分51秒でフォール負けを喫してしまった。

このままでは小川との再々戦どころではない。追い込まれた橋本は試合後にマイクを握ると、「4月7日のドームで俺は引退を懸ける! それでどうだ、小川ぁ~!」と絶叫。この発言が『橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!スペシャル』へとつながっていった。

4・7東京ドームの橋本vs小川戦は、新日本がオフィシャルで「橋本真也選手が敗れた場合、引退します」と発表したものではない。前述の橋本発言を受けて、テレビ朝日が番組タイトルにして大々的に煽ったものだった。

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