なぜ好きな人が多い…? 日本人が「ゴッホの絵」とその物語に熱狂する理由 日本で初めて紹介されたのは文学同人誌だった――
2025~26年は“ゴッホ・イヤー”にふさわしく、ファン・ゴッホの展覧会が目白押しだ。
ファン・ゴッホ家が受け継いだコレクション[『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』、大阪市立美術館:会期終了/東京都美術館:25年9月12日~12月21日(12月16日以降は日時指定予約制)/愛知県美術館:26年1月3日~3月23日]に、クレラー=ミュラー美術館(『大ゴッホ展 夜のカフェテラス』)の名品という、世界の二大ゴッホ・コレクションが日本に集結する。
さらに、ゴッホ作品を3点所蔵するポーラ美術館(『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』、会期終了)では、日本とゴッホに関わる意欲的な企画展が話題を呼んだ。
では、なぜ日本人はこれほどゴッホに惹かれるのか。言い換えれば、なぜゴッホ展には、普段あまり美術展に行かない人々が訪れ、その体験を語り合うのか。モネもゴッホと並ぶ人気を保ち、近年は、クリムトやムンクも“ゴッホ級”の動員を記録している。そうした他の作家と何が決定的に違うのであろうか。
ゴッホの書簡集――作品と人生をつなぐもの
―私が書簡の刊行を踏みとどまっていたのには、手紙を読み解き年代順に整理するのに長い時間を要したということだけでなく、もう一つ理由がありました。―(『弟テオ宛書簡 第1巻』〔DBNL〕)
1914年に出版された弟テオ宛書簡集の序文には、こうした趣旨の一文がある。書いたのはヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル。ゴッホの弟テオの妻、愛称ヨーである。
画家として正当に評価される前に人物への関心が先立つことは、亡くなったゴッホに対して公正を欠く。だからこそ、作品の評価が整ったこの段階で、人としてのゴッホを知り理解してほしい、と彼女は結んでいる。
このとき、ゴッホの死からすでに24年が経っていた。しかし実は没後まもない時期から、部分的とはいえ手紙はすでに紹介されていた。手紙に綴られる人知れぬ苦悩や情熱、ゴッホの劇的な人生は読む者を深く魅了する。書簡は翻訳され、各国に広がっていった。
「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」1882年9月23日頃、ペン・インク/紙、約21.2×26.8cm、所蔵:ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 出品:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」東京都美術館



















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