なぜ好きな人が多い…? 日本人が「ゴッホの絵」とその物語に熱狂する理由 日本で初めて紹介されたのは文学同人誌だった――

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さて、日本において、ゴッホはどのように受け入れられていったのであろうか。ポーラ美術館の「ゴッホ・インパクト」展は、ゴッホの作品と人生がもたらす影響の連なりを、さまざまな時代の作家の作品を通して振り返るという意欲的な企画展だ。展覧会では、日本に初めてゴッホが紹介されたときについても興味深い検証が行われている。

日本でゴッホが初めて紹介されたのは、1911年2月の『白樺』である。『白樺』は、小説家仲間を中心に創刊された文学同人誌だが、西洋美術にも強い関心を寄せ、日本で知られていなかった芸術家を積極的に紹介した。

実はこのとき、先に紹介されたのは作品画像ではなく、手紙の翻訳だった。日本では《作品》より《物語(手紙)》が先行した――この順序が、“物語と作品が相互に響き合う”画家ゴッホを、日本においてより強く方向づけたのかもしれない。

手紙から浮かび上がるゴッホの人間性、芸術観、そしてその劇的な生涯は、若い文学者や芸術家を熱狂させた。日本の文化人がゴッホに熱狂した背景には、大正時代に広がっていた人格主義の影響が色濃いという。

人格主義は、自由・良心・責任・他者への敬意を伴う「人格の尊厳」を重んじるもので、芸術においても作家の人格や精神が作品と並んで重視された。そのような時代の空気の中で、芸術に身を捧げ、苦難のなかで命を落としたゴッホの人生は、彼らの深い共感を呼び起こしたのだ。

当時は実物の作品を見ることがかなわなかったため、やがて多くの日本人が実物を求めて、ゴッホが最晩年を過ごしたパリ郊外のオーヴェール=シュル=オワーズを訪れるようになる。オーヴェールには、医師ガシェの家に20点あまりのコレクションが遺されていただけでなく、ゴッホとテオの墓がある。大正から昭和にかけての17年間に、ガシェ家を訪れた日本人は240人以上にのぼるという。

ゴッホの未来―神話を超えて

ゴッホの劇的な人生への共感は、「ゴッホの神話」を生み出す母体にもなった。なかでも、1934年にアメリカで出版されたファン・ゴッホの伝記小説『生への渇望 Lust for Life』と、その映画化の世界的ヒットは、神話化されたゴッホ像を広く定着させることになる。

一方、美術の世界では、メディアが作り上げた誤ったイメージが、ゴッホの作品と人生に対する評価を損なってきたという議論も起こり、神話の修正が進んできた。例えば「ゴッホは孤高の天才だった」という神話に対しては、ゴッホが画廊で6年余り勤務していたこと、画家を志した後に短期間ながら美術教室に通っていたこと、弟テオが有望な画商として活動し、パリの前衛美術作家たちともゴッホが密接に関わっていたことなどが指摘される。

ほかにも「狂気が創作の源だった」「死後、天才が名声を呼び寄せた」といった数々の神話があるが、研究が進むなかで、事実に基づいた理解がなされるようになっている。

しかし、神話を正すことは、作品と人生の分かちがたい関係を否定することではない。むしろ誇張を取り除くことで、作品と人生の〈響き合い〉はより深みを増す。

いまでは、ファン・ゴッホ美術館の公式サイトで、ゴッホが遺した膨大な手紙を誰でも読むことができる。ゴッホは“物語を伴って鑑賞され得る”稀有な画家である。物語と作品の重なり合う体験がもたらす共感こそが、日本でこれほど愛されてきた理由なのだろう。

架空のアトリエに、ゴッホの作品やモチーフが複数置かれている。架空の画家を設定し、その画家に描かせるという絵画制作を方法論とする作者は、ゴッホとの対話を重ねている
桑久保徹《フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホのスタジオ》2015年、油彩・カンヴァス、181.8×227.3cm、所蔵:個人蔵 © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery 出品:展覧会「ゴッホ・インパクト─生成する情熱」ポーラ美術館 (Photo: Ken Kato 提供:ポーラ美術館)

次に展覧会で心に響く作品に出会ったら、ゴッホの手紙を紐解いてみてはどうだろう。その作品について、あるいは人生について、大きな力を与えてくれる一文が見つかるかもしれない。ゴッホは、その劇的な人生への共感があってこそ、真価を発揮する画家なのだから。

ゴッホがサン=レミの療養所で治療を受けていた頃の作と考えられている。農村や自然の中へ再び歩み出し、絵を描くことへの弾むような喜びが感じられる
フィンセント・ファン・ゴッホ《木底の革靴》1889年秋、油彩・カンヴァス、32.2×40.5cm、ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 出品:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」東京都美術館
主な参考文献
□ 工藤 弘二「ゴッホ・インパクト—『芸術』と『人間』」『ゴッホ・インパクト─生成する情熱』展図録、ポーラ美術館、2025年、pp.202–206
 岩﨑 余帆子「日本におけるゴッホ受容の一側面—『白樺』を手掛かりとして」同図録、ポーラ美術館、2025年、pp.63–66
 ハンス・ライテン(川副智子訳)『ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル 画家ゴッホを世界に広めた女性』NHK出版、2025年(Kindle版 紙版ページ表示あり)pp.266-267, 328-329
 『ゴッホ・インパクト─生成する情熱』展図録、ポーラ美術館、2025年〔全体参照〕
 『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』展図録、NHK/NHKプロモーション/中日新聞社/東京新聞、2025年〔全体参照〕
 『弟テオ宛書簡 第1巻』序(Inleiding)、DBNL(Digitale Bibliotheek voor de Nederlandse Letteren)
 Martin Bailey, “Ten myths about Vincent van Gogh—from the ear incident to suicide, and how stories distort our view of art,” The Art Newspaper, 2019-12-06(オンライン)
□Van Gogh Museum / Huygens ING, Vincent van Gogh – The Letters(オンライン版),Vincent van Gogh Letters, https://vangoghletters.org/
瀬川 律子 アート・ライター

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せがわ りつこ / Ritsuko Segawa

アートアンドパート創業者。東京大学大学院文化資源学研究室修士課程修了。白石コンテンポラリーアートにて、アート関連の教育プログラムや展覧会のコーディネートに携わった後、1996年にアートアンドパートを設立し、日本のミュージアムにおける音声ガイドの普及に取り組んできた。多数の展覧会で音声ガイドの脚本を手がけてきたほか、公共のアート・プログラムのコンサルティング、アート・ライター、ラジオ・パーソナリティーなどを務めてきた。現在はフリーランスとして、美術や文化をめぐるリサーチと執筆を主なテーマとしている。

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