伝説の「1・4事変」の裏で何が起こっていたのか…小川直也が語る《破壊王・橋本真也》との数奇な運命

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4・7東京ドームは、当日の19時54分から21時48分の2時間枠で10年ぶりのゴールデンタイム生放送が決まっており、視聴率獲得のための一般視聴者への訴求として「即引退」が、どうしても必要だったのだ。

「だからあの『負けたら即引退』っていうのは、要するに『この結末をどうやってケツ拭くんだ?』みたいなものを、プロレス側が提供するんじゃなくてテレビ局側から提供してきたっていう。

本来ならプロレスのほうから、ああいう一般の人たちの興味を惹くような打ち出しを思いつかなきゃいけないのが、その時の番組プロデューサー(テレビ朝日の加地倫三)が『世の中の人に観てもらうには、こうするしかないんじゃないか』という最良の方法を取ってきたなっていうのはありますね」

リングで見せた"人の心を動かす生き様"

「ただ、それを受け入れるほうの橋本さんとしては、いちばんキツかったんじゃないかな。あの時、俺のほうが勢いがあったし、橋本さんは状況的に圧倒的に不利だったわけだから。

証言 橋本真也 小川直也、佐山聡、蝶野正洋らが語る破壊王と「1・4事変」の真相
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もう誰が観ても『橋本、ヤバいよな』という状況に追い込まれたなか、『負けたら引退』っていう打ち出し方を受けるか受けないか、最後は橋本さん自身が決める話なんで。そこを踏み越えて向かっていったところに、みんなが心を打たれたんじゃないかな。

もちろん『橋本が引退するわけがないから、今回ばかりは勝つだろう』と思った人もいただろうし、『ホントに負けたらどうするんだ?』とかね、いろんな見方があるなかで、あれだけ人の心を動かす生き様みたいなものをリングで見せたわけだから。

まあ、昭和のレスラーといえば昭和のレスラーだよね。男気に駆られるっていうさ」

テレビ朝日主導で打ち出した「負けたら即引退」のコンセプトと、橋本のレスラー人生を賭けた小川との必死の闘いぶりは、視聴者をテレビに釘づけにすることに成功。視聴率は平均で15.7パーセント、瞬間最高では24パーセントという、関係者の期待を大きく上回る数字を獲得した。

敗れた橋本は一度は引退に追い込まれたが、世間との闘いには勝利したといえるだろう。

(構成/堀江ガンツ)

小川 直也 柔道家、元総合格闘家、元プロレスラー

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おがわ なおや / Naoya Ogawa

1968年、東京都生まれ。柔道で数々の偉業を成し遂げたのち、97年3月にプロ転向を表明し、アントニオ猪木率いる「世界格闘技連合」(98年4月から世界格闘技連盟=UFOに改称)所属に。同年4月12日、新日本プロレス東京ドーム大会の橋本真也とのプロレスデビュー戦に勝利。その後、新日本やUFOの大会に継続参戦。99年1月4日、新日本の東京ドーム大会で行われた橋本との3度目の対戦が、伝説の不穏試合「1・4事変」となる。2000年4月7日、東京ドームでの橋本との5度目の対戦は『橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!スペシャル』としてテレビ朝日系列で全国生放送。00年11月に新日本を解雇された橋本が旗揚げした新団体ZERO-ONEに協力。01年4月18日の旗揚げ第2戦から参戦し、同年12月、橋本とのタッグ「OH砲」を結成。PRIDE、ハッスルなどにも参戦し、一躍人気選手となる。猪木が主催するIGFを主戦場にしたのち、18年、プロレス・格闘技界から引退。現在は小川道場で柔道指導者として活動。24年にはYouTube「小川直也のハッスルチャンネル」を開設した。

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