川田利明が明かす…盟友・三沢光晴との30年以上にわたる"命がけのケンカ"の凄まじい【ガチさ加減】

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少年野球から始まるプロ野球の世界だったらあるかもしれないけれど、プロレスの世界で、俺らみたいに高校時代から大人になるまで、それもお互いにいい年齢になるまで、何十年もずーっと道をともにしているレスラーなんて、他に見たことないでしょ? 俺が高校に入った79年から一緒にいたんだよ?

お笑いのコンビが長年一緒にいすぎると、仲が悪くなるとよくいわれるよね。たしかに、俺らも一緒にいる期間が長すぎた。

でも、三沢さんと俺は先輩と後輩だから、『仲が悪くなる』という表現はちょっと違う。同級生だったら一緒にいすぎて仲が悪くなるところも出てきたかもしれないけれど、三沢さんはどこまでいっても俺の先輩だから、仲がいいとか悪いとかじゃなくて、三沢さんは先輩だという関係性が覆ることはないんだよ」

いつ死んでもおかしくなかった三沢戦

そんな三沢との関係が曲がり角を迎えたのが91年。天龍源一郎のSWSへの電撃移籍で団体の空気がピリついていたこともあってか、とある飲み会の席で三沢と川田は殴り合いの大ゲンカを繰り広げてしまう。

「三沢さんとはそのあとも一緒に出かけたりはしていたけれど、このケンカがきっかけで、関係性は多少変わったんだと思う。たぶん、三沢さんに俺のことを許せない部分が出てきたんじゃないかな。

あれから超世代軍から俺が抜けて、田上(明)と聖鬼軍を組んでからは一緒に食事に行かなくなったね」

その後、2人が同じコーナーに立つことはなくなり、対角線で対峙していく。

92年10・21日本武道館大会では、王者・三沢に川田が挑戦し、2人の三冠戦をめぐる闘いの幕が開けた。

94年6・3日本武道館大会では、三沢は危険度の高い技として封印していたタイガードライバー’91を川田に繰り出し、垂直に近い落下角度でリングに突き刺すフィニッシュに場内は震撼した。

「技の種類もそうだし、技の入れ方も他の選手に対するものとは違う。観ている人にもわかっていただろうね。今思うと、いつ死んでもおかしくなかった。たまたま生きていられたんだよ。

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