自ら選んだ進路で、親元からも地元からも離れて人生をリセットした山口さんは、かつて経験したことがない自由な環境の中で、心の赴くまま高校・大学時代を過ごす。
「実は、大学1年から25歳まで、大学を卒業してからの3年間はニートで、毎日パチンコ屋さんに入り浸ってパチプロをしていました。昔から、遊びのルールをつくったり、それが拡大していくような仕組みを考えたりするのが好きでしたが、当時パチンコに勝つためのルールをつくることに夢中になっていたように思います」
山口さんは3年間パチプロの傍ら公認会計士の試験勉強を続けていたが、弟が公認会計士に一発合格したことを機に、家族から「まともに社会に出て働く気がないなら絶縁する」と宣告される。
就職、転職、そして教育事業へ
そのとき、山口さんは25歳。これ以上欲望のままに遊び続けるわけにはいかないと思い、人生をもう一度やり直そうと、社会に出る決意をする。
「ただ、正直ぼくはその当時卒論も書いていないし、レポートも代理でやってもらっていて、まともにパソコンソフトも使えないようなニート青年だったので、就職氷河期でまったく拾ってくれる会社がなさそうでした」
そんななか、就職・転職エージェントにいた親友に相談した結果、山口さんはエンジニアの卵として、ITベンチャーに半年間試験的に採用されることになる。
「これが社会に出られる最後のチャンスだと思ったのと、拾ってもらったことへの感謝の気持ちから、3年間必死にエンジニアとしてWebサービスをつくることに取り組み、プロダクトマネジメントをかじれるところまで経験を積みました」
その後、山口さんが勤めていたITベンチャーが買収されることになり、憧れの先輩たちが一斉に辞めていくなか、山口さんも転職を考えるようになる。そんなとき、インターネットに詳しく、ノリがリクルートっぽいという理由から、友人に誘われるままリクルートに入り、28歳で教育事業に出会う。
ところが、山口さんがリクルートに転職した頃、同社は右肩上がりの成長を続けていたが、教育事業は減収減益トレンドで、真っ逆さまに落ちていくような状況だった。
「むしろこの配属が、当時のぼくにとってはよかったと思っています。『ホットペッパー』や『スーモ』のような花形の部署に配属されていたら、おそらく今のぼくのリーダーシップマインドは発芽していなかったでしょう」
たまたま配属された教育事業に、ワクワクするようなビジョンや事業戦略がなくモヤモヤしていたとき、「山口は公認会計士の勉強をしていたから、簿記とか経営学がわかっているんだよな」と言われ、事業部長直轄の事業企画職に就くことになる。


















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