「英語は若い人に」と逃げる上司、様子見の若手。日本企業を沈ませる「成長なき停滞」の残酷な末路
学びを投資と見るか、費用と見るか。このシンプルな違いが未来のキャリアを分岐させる。要するに「誰のために学ぶか」、この一点が「未来を自ら更新する人」と「組織に委ねる人」を分けているのだ。
肩書きではなく「進化の痕跡」を語れ
かつて、キャリアとは「どこの会社に勤めているか」「どんな肩書きを持っているか」といったラベルで測られるものだった。だがいま、真に問われるのは「進化の痕跡」である。グローバルなビジネス環境で重視されるのは前述のようにGrowth through Discomfort(不確実性を通じた進化)なのだ。
どんな環境変化に適応し、どんな挑戦を積み重ね、どう自分をアップデートしてきたか。その進化の軌跡こそが語れるストーリーとなり、市場価値と信頼をかたちづくる。逆に、学歴や肩書きといった過去に得た資産に固執すれば停滞が始まる。
日本の国際競争力は明らかに低下している。にもかかわらず、企業研修の現場に立っていると、私は毎回不思議な感覚を覚える。受講者は新入社員から役員まで年齢も職位もバラバラだが、一流大学を出て一流企業に勤めている人たちが多い。日本社会では「勝ち組」といわれる人たちだ。その「一流」であるはずの彼らの表情や言葉の端々に、危うさを感じることがあるのだ。危うさの正体は、口にこそ出さないが、「自分たちはそこそこ成功している」という無自覚な優越感と安心感が混ざり合ったマインドセットだ。
学歴や肩書きはたしかに資産だが、そのままでは化石のように固定化してしまう。重要なのは、ニーチェが「既成の価値の再評価」と呼んだように、一度手にしたものの価値を問い直し、手放す勇気を持つことだ。そのとき初めて、変化に応じて自らを更新する力が磨かれる。
一方で、学歴や環境の制約によってチャンスを得にくかった人々にも、これまでにない可能性が開かれている。AIという強力な道具を手にしているからだ。ドラッカーが「知識は成果に結びついて初めて意味を持つ」と述べたように、AIで知識を増強し、それを行動と結びつけることで、従来は届かなかった知的領域にも挑める。実行力とAIの掛け算は、彼らに新しい次元の競争優位をもたらす。
結局のところ、時代は誰に対しても「与えられた資産」だけに依存することを許さない。資産をどう手放すか、どう掛け合わせるか、どう新しい自分をつくるか。痛みを受け入れてそれらの資産を再編集したとき、それらは初めて未来を切り拓く「進化の証拠」に変わるのである。
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