「地方民が憧れたサブカル誌」「ヴィレヴァンでよく見かけた」 "平成"をつぶさに記録してきた、伝説の雑誌『東京グラフィティ』その後の意外な姿
『東京グラフィティ』は、ある書店で特によく売れていた。
「『ヴィレッジヴァンガード』でグラフィティを知った人は多くいたと思います。バックナンバーも置いてくれていて。普通の本屋では平積みではなく棚差しされることが多く、見つけるのが難しい雑誌でしたから(笑)」
サブカル系書店・雑貨店として知られ、00年代に大きく売り上げを伸ばしたヴィレッジヴァンガードも、25年には全店舗の約3割にあたる81店舗の閉店を検討していることを発表するなど、苦しい局面に立たされている。
「街中スナップ」が難しくなった令和
また、『東京グラフィティ』ならではの取材手法や誌面構成も、時代と合わなくなっていった。
同誌の最大の特徴は、一般の人々のスナップ写真で構成されていることである。タレントがインタビューを受けることもあるが、あくまで誌面の中心は市井に生きる人々の膨大な写真。その数、1つの号に1000人ほどの規模だ。
「『東京グラフィティ』は街頭で写真を撮るのが持ち味です。編集者が記事のライティングもカメラマンも担うスタイルなので、僕自身、1週間ずっと街頭に立ち続ける、なんてこともよくありました。始めた頃は、ストリートスナップを撮る雑誌は他にもあり、同業の方を原宿などでよく見かけましたが、コロナ後はめっきりいなくなり、僕1人なんてこともありましたね」
しかし20年のコロナ渦では、街頭取材を減らさざるをえない時期が続いた。SNSなどで声をかけた人に部屋で自撮りした写真を送ってもらうなど、リモートでも成立する企画を発案したが、往時の勢いは戻らず、経営は苦しくなっていった。
「とはいえ全盛期も、雑誌本体では実はほとんど利益が出ていなかったんです。『東京グラフィティ』は創刊から休刊まで、価格をワンコイン(500円)以上にしたことはありません。しかしフルカラーですし、業界の常識で考えれば1000円以上に設定してもいい雑誌ではあったと思います。そのうえ、広告もほとんど掲載しない方針でした」
同社は、企業や大学から案件をとり、『◯◯グラフィティ』と冠をつけたパンフレットを作成していた。その売り上げで約20年間、会社を存続させていたのだ。ただ、コロナ禍をきっかけに、その件数も減っていった。



















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