「唐のポチ」か、それとも「アンチ」か。白村江の戦いから続く、日本の"大国への追従"と"一時的反抗"のループ
「唐のポチになるか、ならないか問題」が勃発
中国の唐は大帝国となり、周辺諸国がざわつきます。唐にべったり従うのが得なのか、いやいや唐がなんぼのものやと対抗すべきか。「唐のポチ」派と「アンチ唐」派に分かれて、今の親米・反米のような図式です。
朝鮮の高句麗では、独立急進派の将軍が、国王や穏健派の貴族たちを殺してクーデタを起こします。すると、唐が高句麗に進軍します。一方、百済では、国王が権力を集中させようとして内輪もめが起こり、王子が日本に逃げてきました。
そんなすったもんだの末に、なんと、高句麗と百済が同盟を結びます。一緒になって唐や新羅と戦うというのです。犬猿の仲だったヒトラーとスターリンが手を結んだ独ソ不可侵条約締結のごとき衝撃です。焦った新羅が、唐に助けを求めます。
不穏な国際情勢が飛び火したのか、日本でも宮廷を揺るがすクーデタが起こります。645年の乙巳の変です。かつては「大化の改新」と呼ばれていた大事件です。



















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